[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

イ・ビョンホン主演『KCIA 南山の部長たち』の背景にある、2つの大きな事件――「暴露本」と「寵愛」をめぐる物語

2021/01/22 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『KCIA 南山の部長たち』

イ・ビョンホン主演『KCIA 南山の部長たち』が描く、謎に包まれた歴史――「韓国最大の存在」はなぜ暗殺されたのかの画像1
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 軍事クーデター後、18年という長きにわたって韓国の大統領に君臨した朴正煕(パク・チョンヒ)は、1979年10月26日、実質“政権ナンバー2”であったKCIA(「大韓民国中央情報部」の略)の部長・金載圭(キム・ジェギュ)によって暗殺された。パク・チョンヒの死は韓国国民に衝撃を与え、ヒステリックな悲しみをもたらしたが、暴圧的な長期独裁の終焉に、喜びの「万歳」を(密かに)叫んだ人も少なからずいたに違いない。だが多くの国民は、誰彼なしに街に飛び出して慟哭し、その様子はテレビを通して中継されたものだ。

 当時小学校4年生だった私には正直、パク・チョンヒの死そのものよりも、「閣下!」と目の前で泣き叫ぶ父の姿のほうが遥かにショックだった。そんな大人たちの異様さに違和感を覚えつつも、徹底した反共教育で育った私は、このどさくさに紛れて北朝鮮が攻めてくるのではないかと恐怖に慄いたのをよく覚えている。

 だが、国の混乱ぶりに乗じて登場したのは、北の人民軍ではなく、全斗煥(チョン・ドファン)率いる新軍部だった。彼は、パク・チョンヒ暗殺の犯人たちを素早く逮捕すると、「大統領になりたいという誇大妄想に囚われたジェギュが犯した内乱目的の殺人事件」と発表。裁判から死刑までをあっという間に終わらせると、早々と事件の終結を宣言し、パク・チョンヒに代わって権力を掌握していったのは、その後の歴史の通りである。

 以来韓国では、ドファンの発表がパク・チョンヒ暗殺事件の顛末として「定説」とされてきたが、この事件をジェギュの「誇大妄想」だけで片付けるには、あまりにも謎が多かった。肝心のジェギュが速戦即決で死刑にされ、「なぜ殺人に至ったのか」が明らかにされないままだったため、事件をめぐっては、時間がたつとともにさまざまな説や噂が飛び交うようになった。


 例えば、「政権内での権力争いに敗れた」という説や、「パク・チョンヒの悪政への反感から殺害を計画した」という説、中には当時の核開発計画に反発するアメリカが画策したという、米韓関係の悪化を踏まえた具体的な説もあった。暗殺直後、ジェギュが米軍基地に逃げ込んだという噂もあり、“アメリカ黒幕説”は長らく消えなかった。真相究明を目論んだ書籍がいくつも書かれたが、自らの手で終わらせたはずの事件に触れられるのを嫌ったからか、チョン・ドファン政権下では発売を禁止され、結果的に、民主化が進んだ90年代まで出版を待つことに。

 そんな中、「東亜(トンア)日報」で1990年に始まった連載が、世間の大きな関心を集めた。それまで実態がほとんど表に出ていなかった軍事政権下でのKCIAの部長たちに焦点を合わせ、権力の暗部に迫る内容で、2年にわたる連載後には『남산의 부장들(南山の部長たち)』という題名で出版されてベストセラーに(講談社から邦訳『実録KCIA―「南山と呼ばれた男たち」』が出ているので、ぜひ手に取ってみてほしい)。

 ちなみに、KCIAの本部がソウルの中心に立つ「南山(ナムサン)」という山にあったため、通称として使われている。今ではソウルの観光スポットになっているが、独裁政権下、数々の拷問が行われていたことから、当時は国家権力による“暴力の象徴”として悪名高い場所だったのだ。

 この本でとりわけ注目されたのは、膨大な資料と取材に基づき、パク・チョンヒ暗殺に至るまでのジェギュの心境の変化を具体的に描き出している点。今回のコラムでは、これを原作にしたウ・ミンホ監督の『KCIA 南山の部長たち』(2019)を取り上げ、日本の観客にとってはやや複雑な構成になっている事件の背景や、人物たちの関係に触れながら紹介したい。


実録KCIA−南山と呼ばれた男たち−/金忠植