サイゾーウーマン芸能韓流映画『アジョシ』から学ぶ韓国武術の歴史 芸能 [連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』 ウォン・ビン主演『アジョシ』から見る、新たな「韓国」の側面とは? 「テコンドー」と“作られた伝統”の歴史 2021/03/26 19:00 崔盛旭(チェ・ソンウク) 崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』 オリンピック競技「テコンドー」は、“作られた”スポーツだった <物語> 質屋を営みながら孤独に暮らすテシク(ウォン・ビン)。そこにやってくるのは、客と隣の家の幼い少女・ソミ(キム・セロン)だけだ。家でも学校でも1人で過ごす時間が多いソミは、テシクを「アジョシ(おじさん)」と呼んで慕い、テシクもソミに心を開いていく。そんなある日、ソミは麻薬事件に関与した母親と共に拉致され、どこかへ連れ去られてしまう。テシクはソミ親子を助けるため、拉致犯たちに言われるがままに麻薬を運ぶ。 だが、ソミの母親はすでに残酷な方法で殺されており、犯人たちが凶暴な臓器密売の組織であることを知ったテシクは、必死にソミの行方を探して走り回る。一方、一連の事件との関係を疑ってテシクを追っていた警察は、ヴェールに包まれていた彼の過去にたどり着く。テシクはある極秘任務の報復で家族を失い、そのショックで退役した特殊工作部隊の最精鋭要員だったのだ。作戦で敵を制圧するがごとく、ソミの母親を殺した犯人たちを次々と排除し、ついに臓器密売組織のアジトに乗り込むテシク。ソミを救うため、命を懸けた彼の最後の戦いが始まる。 冒頭で述べたように、「アジョシ」とは「おじさん」のことである。「おじさんが少女を助ける」物語といえば、『レオン』(リュック・ベッソン監督、1994)や『マイ・ボディガード』(トニー・スコット監督、04)などですでに使い古されたテーマになっているためか、イ・ジョンボム監督は「新しいアクション、簡潔かつ実戦的であり、効果的な武術を見せたかった」と、アクションに重きを置いたというような発言をしていた。実際、本作のテシクは、「特殊工作部隊」出身らしく全身を武器のように使いながら、これまで目にしたことのないシンプルで素早い技を駆使して犯人たちを殺めていく。 ここで、“これまで目にしたことのない”テシクの武術を考えるために、韓国における武術の歴史をたどってみよう。 韓国の武術といえば、オリンピック競技にもなっているテコンドーがよく知られている。日本人のメダリストたちも皆、韓国で鍛錬を積んでおり、“テコンドー=韓国”というイメージは、日本でも浸透しているのではないだろうか。確かに軍隊でもテコンドーを訓練の一つとして取り入れてはいるが、れっきとした「スポーツ」であるテコンドーは、常に生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている特殊工作部隊にとって、実際はたいして役に立たないものだ。 例えば、テコンドーには足を使う技が多く、「足をどれだけ高く上げられるか」といった技も重要だったりするが、軍隊において足をムダに高く上げると相手に隙を見せることになり、足を上げている間にやられてしまいかねない。したがって軍隊では、敵の股間を狙うように訓練するのだ。そして軍隊でのテコンドーは、あくまでも敵とばったり遭遇し、銃などの武器を使う余裕がない状況を想定しているため、実戦でどれだけ役に立つかは疑わしい。本作で、あっという間に相手の息の根を止めるテシクの技術とテコンドーは、根本的に異なるものだと考えられる。 次のページ 『パラサイト』ポン・ジュノ監督も、カンフー映画に影響を受けた? 前のページ123次のページ 楽天 セブンネット 朴禎賢 テコンドー入門(DVD) 関連記事 韓国映画が描かないタブー「孤児輸出」の実態――『冬の小鳥』 では言及されなかった「養子縁組」をめぐる問題EXO・D.O映画デビュー作『明日へ』から学ぶ、“闘うこと”の苦しみと喜び――「働き方」から見える社会問題R-18韓国映画『お嬢さん』が“画期的”とされる理由――女性同士のラブシーンが描いた「連帯」と「男性支配」からの脱出イ・ビョンホン主演『KCIA 南山の部長たち』の背景にある、2つの大きな事件――「暴露本」と「寵愛」をめぐる物語『パラサイト 半地下の家族』を理解する“3つのキーワード”――「階段」「におい」「マナー」の意味を徹底解説