イ・ビョンホン主演『KCIA 南山の部長たち』の背景にある、2つの大きな事件――「暴露本」と「寵愛」をめぐる物語
1つ目は、KCIA部長のキム・ジェギュ(映画内ではキム・ギュピョン/以下、括弧は映画内の役名)と、警護室長のチャ・ジチョル(クァク・サンチョン)が対立する発端として描かれる、元KCIA部長キム・ヒョンウク(パク・ヨンガク)事件である。
ヒョンウクはもともと、パク・チョンヒが権力を掌握した際のクーデターにも参加していた部下であり、どんな手を使っても命令を実行する人物だった。拷問や捏造を繰り返して多くの犠牲者を出し、その手口があまりにも汚かったので、政権内部からも批判されたほど。それゆえ、パク政権の維持にとっては功労者であったにもかかわらず、あまりにも多くを知りすぎてしまったため、次第にパク・チョンヒからも疎まれることとなった。
その後の冷遇によってヒョンウクが不満を抱き亡命し、パク政権の実態をアメリカで告発したのは、映画で描かれている通り。中でもパク・チョンヒを怒らせたのが、政権の暗部を詳細に記述した原稿(『キム・ヒョンウク回顧録』として、韓国では1985年に出版)だった。
誰よりもパク・チョンヒに忠誠を誓った部下が暴露本を出すという背信行為は皮肉なものだが、ヒョンウクにとっては、金銭目的だけではなく、報復から自らを守る最後の手段でもあったのだろう。何人もの政府関係者が出版をやめさせようと説得を試みたものの、彼は応じなかった。焦ったパク政権は、説得を諦めてヒョンウクの暗殺を画策し、映画では緊迫感たっぷりの攻防が前半のクライマックスとなっている。
この一連の流れは、映画では非常に具体的に描かれているが、実は長年にわたりヒョンウクは「パリで行方不明になった」としか伝えられていなかった。暗殺されたのだろうと臆測だけが広がる中、2005年に「元KCIAの要員」と名乗る人物が突如現れ、韓国社会を驚かせた。ある政治週刊誌の記者が半年にわたり説得し、ようやくインタビューにこぎつけたというその人物は、「私がパリでキム・ヒョンウクを拉致し、養鶏場で殺した」と告白。映画はその証言を元にしている。
事件から26年もたって証言者が現れた背景には、韓国で05年に発足した「真実・和解のための過去史整理委員会(過去史委)」という組織の存在が挙げられるだろう。植民地時代から朝鮮戦争、軍事独裁と目まぐるしい歴史をたどった韓国では、権力による人権の蹂躙や暴力、虐殺、疑問死があとを絶たなかった。どれほど多くの人が理不尽な死を遂げ、その事実が時の権力者によって隠されてきたことだろう。「過去史委」はそんな歴史を検証し直し、権力の横暴を認め、犠牲者たちの名誉回復と補償という目的で設立され、今日までに一定の成果を残している。
そして、検証すべき対象の一つとして、「キム・ヒョンウク行方不明事件」が含まれていたことから、このタイミングでの登場となったのだろう。
この元KCIA要員は調査にも積極的に協力したのだが、「過去史委」とともに真相究明に取り組んだ国家情報院(KCIAの後身)が出した結論は、養鶏場ではなく「山に捨てて枯れ葉で隠した」という、最初の証言とはやや異なるものだった。フランスとの外交問題を避けるため、韓国側が配慮したともいわれており、新たな疑問が残る形にはなったものの、長年「行方不明」とされてきたヒョンウクが、「キム・ジェギュの命令で拉致され、殺された」という事実だけは明らかになったのである。パク政権時代のKCIAは、国家という名の下では殺人も簡単に正当化する、恐ろしい集団だったのだ。