[コラム]K-POPタテ・ヨコ・ナナメ斬り

SEVENTEEN「HOME;RUN」は「Jazz」を知るとさらに楽しい! MVの世界観と音楽ルーツを解説 

2020/11/03 19:00
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1920年代:シカゴ・ジャズ 〜アフリカン・アメリカンがシカゴへ

 1917年、アメリカが第一次世界大戦に参戦し海軍基地が作られたのをきっかけに、20年間続いた売春地区・ストーリーヴィルは閉鎖されます。

 一方で、1800年代中盤のシカゴは運河の開通や鉄道路線の発達により主要なハブ拠点となり、人とモノが大量に行き交うようになります。1860年代の南北戦争の特需などで産業もさらに発展し、当時は世界史上最も急速に成長した都市といわれていました。1840年代の大飢饉以降、ヨーロッパ全土から貧困や迫害を受けた人たちが流入していたこともあり、なんと1890年頃のシカゴの人口は8割近くが移民でした。

 南部の畑の害虫や洪水被害で職を失った農民や、ストーリーヴィルの閉鎖で職を失ったミュージシャンたちは、発展の真っ最中で比較的差別の少ないシカゴへと向かいます。1915年頃から第一次世界大戦で母国の軍隊に入るために、移民たちがヨーロッパへ帰国する流れ、アメリカ自体の第一次世界大戦への参入もあり、一時的に人不足の状態になっていたシカゴに、ここぞとばかりに南部からアフリカンアメリカンが流入しました。

 当時はまだジャズというジャンルが「ジャズ」という名称ではなく、アメリカ南部地域のことを指す「Dixieland」(ディキシーランド)と呼ばれていたといいます。その頃に、シカゴで結成されたニューオーリンズスタイルのバンド「Original Dixieland Jazz Band」の楽曲がニューヨークでレコーディングされ、この時に発売されたレコードがジャズ史の中で初めて発売されたレコードとされています。

 彼らのバンド名はデビュー前は「jass」と綴られていましたが、デビューをきっかけに「jazz」と綴りを変え、彼らによって「jazz」という名称が多くの人に知れ渡ったといわれています。メンバーは皆ヨーロッパ系の白色人種ですが、初期メンバー全員がニューオーリンズ生まれのあまり裕福ではないシチリアやアイルランド系移民で、アフリカンアメリカンと同じようにストーリーヴィルの閉鎖後にシカゴに移動してきた人たちです。


■Original Dixieland Jazz Band – Livery Stable Blues (1917)

 1920年には国家禁酒法が施行されますが、人々はもちろんそれに従うはずもなく、国境付近の街はマフィアを中心に国外で作られたアルコールを輸入。秘密酒場(スピークイージー)と呼ばれるマフィア経営の酒場にアルコールを卸し、マフィアは莫大な利益を得るようになります。

 ニューヨークなどでは禁酒法施行後に酒場の数が何倍にも増えたという話もあるぐらいで、カナダとの国境が近かったシカゴも例に漏れず、1万軒あったといわれている秘密酒場はたくさんのジャズミュージシャンの演奏場所となります。

 基本的にシカゴ・ジャズは今までのオールドジャズの踏襲で、違いとしては、リズムがシンコペーションからスウィングリズムに変わっていきます。スウィングの話は追って詳しく説明しますが、シカゴからニューヨークにジャズが移り30年代のスウィング・ジャズとして流行する前触れとなります。

 またオールド・ジャズに比べ、それぞれの楽器のソロがわかるように演奏するスタイルに変わっていきます。使う楽器の種類にも変化が見られ、低音を担っていたチューバからコントラバスを使用するようになったり、今まで使われなかったサックスが取り入れられるようになります。


■Louis Armstrong & The Red Onion Jazz Babies – Terrible Blues (1924)

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