サイゾーウーマンコラム日本のアウト皇室史大正天皇が女官にストーカー行為!? コラム 【連載】堀江宏樹に聞く! 日本の“アウト”皇室史!! 天皇が女官にストーカー行為!? ご執心ぶりに皇后様も“憤怒の形相”【日本のアウト皇室史】 2020/03/14 17:00 堀江宏樹(作家・歴史エッセイスト) コラム日本のアウト皇室史 あの手この手で女官に言い寄る天皇だが…… 『女官 明治宮中出仕の記』(講談社) ――天皇に言い寄られることで、天皇との関係がこじれてしまった女官・山川三千子。こんな状態では、女官としては勤めにくくなったのでは? 堀江 たしかに、山川三千子はこの頃、「あの生意気な娘(=山川)は、私は大嫌いだ」と皇后様が言ったという報告を、同僚の女官から受けています。しかし、それだからといって、明治天皇の時のような女官同士の争いみたいなことはなかったようですね。わりと同情票のほうが多かったのかも。やはり、大正天皇はちょっと面倒くさい方だという共通認識が女官同士にはあったのでしょうか(笑)。 こうして、相変わらず大正天皇にグイグイ迫られながらも、山川三千子は昭憲皇太后のお傍で女官を続けています。しかし、もうすぐ25歳だし、誰かと結婚したほうがいいのかなぁ、でも明治天皇を喪った昭憲皇太后さまの寂しそうなお姿を拝見していると、自分だけ幸せになっていいものかなぁ……などと悩みのつきない日々でもありました。 この時、ウラで大正天皇は、山川三千子についていろいろと調べていたようなのですね。そして山川三千子にとっては大先輩にあたり、「世話親」と呼ばれる、いわば宮中での親代わりの女官を動かして、彼女との距離を縮めようとしてくるのです。 ――ストーキングじゃないですか、それって。 堀江 まぁ、今ならそういうことでしょうかね(笑)。山川三千子の世話親は、大正天皇の生母である柳原愛子です。一時期は明治天皇の権典侍(ごんのてんじ)で、いわゆる側室でした。 しかし、柳原愛子は大正天皇となる皇子を出産した後は側室を辞退し、典侍(編註:宮中の女官の最高位)の職に復帰していたのです。大正天皇は実母の柳原愛子が山川三千子の「世話親」でもあることに気づき、柳原に手伝ってくれと訴え、山川三千子への自分の恋心を成就させようとしていた形跡があります。 大正天皇は柳原愛子を説得、昭憲皇太后に仕える山川三千子を自分のそばに異動させようと考えたようです。その結果、山川三千子は柳原愛子から、大意でいうと「あなたはまだ若いんだから大正天皇のところに行ったほうが出世にもなるし、結婚のとき、女官としての職歴はアピールポイントになるからいいわよ」的に、大正天皇直属の女官になることを何度か勧められもしました。 しかし、彼女はそれを断りました。「こちらさま(=昭憲皇太后)のところで私がご不要な女官であれば、実家に帰させていただきます」と言うわけですが、それは「大正天皇のお傍で働かねばならないくらいなら、私は辞めます」という意味なんですね。 やさしく親しみやすいお人柄で、女官からの人気が高かった柳原愛子もこのときばかりは、ムッとしたらしく、冷たく「そうですか」と言ったそうな(笑)。 次のページ 大正天皇ご執心で、女官vs皇后のバトル勃発!? 前のページ123次のページ 楽天 Yahoo 『大正天皇 一躍五大洲を雄飛す』 関連記事 明治天皇の”スペオキ”女官は「口ベタなとこが逆にいい」!? 女の嫉妬渦巻く宮廷の側室【日本のアウト皇室史】天皇に仕える女官は “プロ彼女”? 「お世継ぎ」「添い寝」と女の争い【日本のアウト皇室史】皇室の“知られざる”お正月事情――天皇陛下は大忙しでも女官は「朝から日本酒」!?【日本のアウト皇室史】職人技光る“皇室愛用ブランド”が廃業――「デパート」「通販」の台頭で消えゆく伝統【日本のアウト皇室史】「宮内庁御用達」は怪しい制度!? “皇室ブランド”にあやかるアウトな商売とは【日本のアウト皇室史】