天皇が女官にストーカー行為!? ご執心ぶりに皇后様も“憤怒の形相”【日本のアウト皇室史】
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!
大正天皇は「人間的すぎる」?
――前回、女官の山川三千子が大正天皇に対して、厳しい目線を向けていたという話が出ましたが、これはなぜなんでしょう?
堀江宏樹(以下、堀江) 山川三千子の大正天皇にきつめの点数を付けている理由はいろいろありますが、明治天皇に比べ、大正天皇のお姿は、すくなくとも山川三千子にとっては、「人間的すぎた」のであろうと思います。
――「人間的すぎた」とは……?
堀江 女官として「天皇そして皇后に何を求めるか」なんですね。初対面の女官をナンパして、写真をねだるなんて天皇としてどうかと思うし、皇后様はナンパされた私に気遣うどころか正面から嫉妬してくるし……しかも明治天皇の崩御からそれほど時間もたってもいないこの時期に! というのが山川三千子の不満の源です。
一方、山川三千子が敬愛する昭憲皇太后(=明治天皇の皇后)は、明治天皇が崩御なさると、ご弔問に訪れた方々の前では涙をほとんど見せたりせず、努めていつものように振る舞い続けておられました。
しかし、着替えの間で山川三千子と二人きりになると、「私が悲しいのは誰よりも一番でしょう。しかし私が泣きくずれていては、後のことがどうなると思いますか」と言って、ハンカチに顔をうずめた……という描写が『女官』には出てきます。昭憲皇太后の振る舞いは、人間的というより神々しいですよね。自分の感情は押し殺し、穏やかに振る舞うことで、カリスマ・明治天皇の崩御にざわめく周囲の人の不安を取り除こうとなさっていたわけです。
ところが、それとは対照的なのが大正天皇でした。山川三千子への大正天皇のアプローチは止まりません。喪に服している昭憲皇太后が隣にいるのに、「歌を教えてあげるから、私と一緒に歌いなさい」などと持ちかけたり。歌わない山川三千子をヨソに天皇は大声で歌ってくれたそうですが、調子外れの音痴だったそうです(笑)。
陰湿なセクハラなどではありません。でも、それゆえにはっきりと「やめてくれ」とは言いにくく……というか戦前の身分社会で、天皇陛下の御好意を拒絶するのは、さすがの山川三千子にも厳しいものがあり、だんだんと彼女は滅入ってしまいました。
これを見かねた昭憲皇太后が間に入ってくれて、なんとか天皇のお戯れから解放されることが何度かあり、ついには「大正天皇が昭憲皇太后のところに来た時は、山川三千子は病欠扱いにするから対応しないでよい」というルールまで宮中では作られる始末でした。