【特集】「慰安婦」問題を考える第2回

なぜ兵士は慰安所に並んだのか、なぜ男性は「慰安婦」問題に過剰反応をするのか――戦前から現代まで男性を縛る“有害な男らしさ”

2019/08/09 19:30
小島かほり

慰安所に並ばなかった兵士が見抜いていた、兵士と「慰安婦」の関係の非対称性

――『新・ゴーマニズム宣言』では「最後に女と経験して死を覚悟した者だっていただろう」と描かれていますし、「死を前にすると性欲が高まる」という男性神話が信じられていますが、兵士の回想録の中では、「引き揚げ船の中では縮こまった性器を見せ合い、性的に不能になったかと不安がっていた男たちが、本土が見えて身の安全が保障されてようやく性欲が出てきた」などと書かれています。また『戦争と性暴力の~』により、「慰安所に並ばなかった兵士」の具体例も初めて知りました。

平井氏 行かなかった理由は、「妻に申し訳ない」「将来の妻に申し訳ない」といったロマンティックな性道徳規範を持った人、「慰安婦」に対する嫌悪感を持っていた人、慰安所に並んでいる兵士たちを見て幻滅した人などさまざまです。意外だったのは、慰安所の設置自体を「兵隊を見くびっていると思った」と指摘した人。軍による性的コントロールを見抜いたんでしょうね。それと数は少ないんですけども、「女性の人権が軽視されている」と思った人。「兵士は銃剣を持っていたから、有無を言わさない存在であり、女たちはその銃剣におびえていたはずだ」と、兵士と「慰安婦」の間の非対称な権力関係を見抜いていた兵士もいます。

 私が好きなのは、『戦争と性暴力の~』にも書いた久田次郎さん。徴兵制度や軍隊になじめなかった人です。中国の野戦に4年間いても慰安所には行かず、休日は食堂でライスカレーを食べに行く方が楽しかったとおっしゃっていました。軍隊が求める「男らしさ」から降りて、仲間からは変わり者扱いをされていたそうです。生前、静岡大学で彼に話をしてもらったときに、「私は腰抜けの兵隊でありました」とにっこり笑われていたのが、すごく素敵でした。「腰抜け」と言われても淡々と受け入れる、そういう「男らしさ」から降りた人がいたことは覚えておきたいです。

――『戦争と性暴力の~』の中では、初年兵は「性欲には無関心であった」「全くそんな欲望を持つ暇などなかった」と書かれていますね 。

平井氏 毎日の訓練で疲れ、非人道的な扱いにストレスがあったのでしょう。それに初年兵の「慰安所」行きは古参兵たちによって抑圧されていました。慰安所に「行った/行かなかった」を分けるものは、「性欲」だけではなく、軍隊内での階層も関係しています。


――初年兵に対する非人道的な扱いというのは、具体的にはどういったものなのでしょうか?

平井氏 私的制裁、ビンタです。「靴ひもがみんなと同じように結べてない」「服が畳めていない」とか、難癖をつけては古参兵が次々殴っていく。どの国の軍も初年兵を殺人マシンになるように調教していくわけですが、日本軍の場合は精神的なもの(根性を入れるとか)が伝統的な慣行になっています。兵隊の回想録を読んでいると、ビンタへの恨みが満載です。彼らの鬱憤を晴らす対象が、戦場で一番弱い者へ向けられた。曽根さんは、それが中国の農村の人たちだったと書いています。抑圧移譲といって、いじめと同じ構造です。

 さっきの質問にあった猟奇的な性暴力について、曽根さんが書かれていたことを思い出しました。戦友の中に一人、ものすごい弱虫の兵隊がいたそう。軍隊の中では、そういった兵隊はいじめの対象になります。そんな彼が戦場で、中国人のお母さんと息子に性行為させるということを思いつき、手を打ちながらその様子を喜んで見ていたのだとか。軍隊でいじめられていた者が、戦場で一番弱い者を見つけて、猟奇的な性暴力を仕掛けて得意そうにしていた。それは初年兵いじめによる抑圧移譲が、猟奇的な性暴力となったものと見ることができるかもしれないですね。

 曽根さんがその人と40年ぶりくらいに戦友会で再会したら、好々爺になっていたそう。曽根さんの本には「彼の奥さんは、彼のそういう面は知らない。知っているのは戦友だけである」と書いてあります。私たち研究者が聞き取りに行っても、きっと元兵士たちは本当のことは言わない。戦友会のホモソーシャルな仲間内だけで話しているんだろうなと思います。ビルマ戦の戦友会に入って聞き取りをされている遠藤美幸さん(『「戦場体験」を受け継ぐということ』高文研)は、よくやられているなと思いますが、やはり外部の人間では限界があると思ってしまいます。

戦争と性暴力の比較史へ向けて