「新宿二丁目」伏見憲明氏が語る実態――世間的な「勝ち札」が通用しない“多様性の街”
――とはいえ、ノンケNGのゲイバーも少なくありません。ちなみに、伏見さんのお店「A Day In The Life」は、さまざまなセクシュアリティの人を寛容に受け入れていらっしゃいますよね。
伏見 誰にでも開かれているってわけでもないですよ。ゲイバーがすべての人を受け入れたら、ゲイバーでなく、ただのバーですからね(笑)。やはり“特別な空間”でないとつまらない。ちなみに、僕の見立てですが、席の半数はゲイで埋まっていないと面白くならないかな。カクテルと同じで、何をベースにするかで、空間の面白さや個性が出るんですよね。なので、うちは、一応ゲイが主役というのを建前にしている。あとは脇役。それを排除だと言われても、「会員制なので」というスタンスを取ります。ちなみに、初来店の女性のお客様には、「“ブス”って言われても“下女”って言われても、それを楽しんで受け入れられますか?」って聞いて、ゾーニングというか、ふるいにかけていますね(笑)。
――ゲイバーとしての個性を保つためには、排除と寛容のバランスが大切だということですか? お客さんの中には、“二丁目らしいコミュニケーション”を求めている人も多いように思いますが、二丁目にはユーモラスでウィットに富んでいる、特異なコミュニケーションのありようが存在していますよね。
伏見 そうですね。たとえば、勤め先や肩書、どんな車に乗っているかとか、つまり自分がどれだけ勝ち札を持っているかに左右される“マウンティングのコミュニケーション”で成り立つハイソな街もありますが、その点、二丁目って世間的なヒエラルキーはそれほど重要ではない。どんな大会社の社長も、フリーターも、同じ空間にいて違和感がありませんから。
女性もどれだけきれいかとか、おしゃれかで評価が上がるわけでもなく、むしろレベルが低ければ低いほど面白がられるわけです。たとえば、「アンタ、ほんとにブスね!」って言われて、どう返すかがむしろ大事。「これでも整形してるんです!」くらいネタで言ってほしい(笑)。だから「お金持ちのお嬢様です」ってアピールされても、「へぇー……」みたいな感じ? 自虐のコミュニケーションっていえばいいのか、“負け札をどれだけ楽しめるか”に根差したコミュニケーションが受け継がれているんですよね。