「新宿二丁目」伏見憲明氏が語る実態――世間的な「勝ち札」が通用しない“多様性の街”
東洋一のゲイタウンとして名をはせた「新宿二丁目」。東西約300m、南北約350mという狭い区画の中には、雑居ビルが建ち並び、300を超えるゲイバーやレズビアンバーが店舗を構えている。
戦前には遊郭が栄え、戦後は赤線・青線地帯だったこのエリアは、いつの間にかセクシュアルマイノリティが集う街へと変遷した。その事実を知っている人であっても、現在の新宿二丁目を“二丁目”たらしめている歴史的背景を熟知している人は少ないだろう。
ベールに包まれた街の秘密を、膨大な資料に基づいてひもといた書籍が『新宿二丁目』(新潮新書)。自身も新宿二丁目でゲイバーを営む、著者の伏見憲明氏にインタビューを行い、いまなお新陳代謝が進む摩訶不思議な街の実態に迫った。
■ひと昔前は隠れるように歩き、忍び込む街だった
――LGBTタウンとして知られてきた新宿二丁目ですが、最近はヘテロセクシュアル(異性愛者)の男女も気軽に訪れることができる街に変容している印象です。
伏見憲明氏(以下、伏見) ええ、だいぶ変わりましたね。ひと昔前は、誰にも見られないように、店と店の間を小走りで移動する人が少なくなかった。隠れるように飲んで隠れるように帰る、そんな街でした。かつては、店の中は満席でスゴい熱気に包まれていましたが、外はがらんと誰もいない雰囲気でした。90年代後半まではそんな感じですね。現在は週末、とりわけ夏場なんか通りに人があふれているけど。
――著書『新宿二丁目』では、繁華街であるだけではなく、多様性や包摂を体現している街と表されています。雰囲気は変わっても、その本質は変わっていない印象ですか?
伏見 そうですね、というか、新宿自体が吹きだまりみたいな街ですからね(笑)。多様な人が集まって同じ空間を共有するわけなので、個人の感覚、趣味、主義主張だけ押し通すと、居心地が悪い。時には対立しても、譲り合ったり、我慢したり。だからこそ、新しい出会いから何が生み出されるんですよね。その積み重ねが、新宿二丁目の輪郭を形成してきたのだと思います。