高橋ユキ【悪女の履歴書】

「埋めてこい」実の父親が指示――8歳女児を死に至らしめたもの【葛飾区女児誘拐殺害事件・後編】

2019/06/10 17:00
高橋ユキ

「なぜ埋めてこない」財布で頭を強く叩く“父親”

 その日の夜、近所のサウナにいたところ、弥生ちゃんがいなくなったという連絡を聡子から受けた伸一は、ある予感を感じ、二人の愛の巣へ向かうと、美佐子と、変わり果てた我が子を見つけた。伸一は自首を考える美佐子を引き止め、こう指示した。

「冷蔵庫に死体を隠せ。土曜日の晩にどこかへ埋めてこい」

 翌日、セメントを15袋買ってきた美佐子は、弥生ちゃんの遺体にそれをかけて固めた。自分と同じぐらいの重さになった遺体を、一人で軽トラックの荷台に乗せ、大宮の雑木林まで運んで荷台から下ろし、そこに横たえた。だが、その報告を聞いた伸一から「なぜ埋めてこない」と財布で頭を強く叩かれ、再度埋めなおしに行く。しかし穴の深さが浅かったことから「犬だって50センチぐらい掘り返すぞ、もう一度埋めなおしてこい」と3度目の遺棄を命じられた。

 行方不明から約2週間後の10月30日、弥生ちゃんの遺体が雑木林で発見されると、任意で取り調べを受けていた美佐子は、ついに殺害を自供。11月2日、弥生ちゃん告別式の直後、その父である伸一も、死体遺棄と犯人隠避の罪で逮捕された。

 翌年、懲役1年8月、3年間の執行猶予判決を受けた伸一が、妻子の元へ戻った一方、美佐子には、懲役13年の判決が下された。求刑は無期懲役であったが大幅に減刑されている。これには、定時制高校時代の恩師や同級生による1,760人もの嘆願書が提出されたことが、大きく影響したと見るムキもある。


 女子刑務所に服役したのち、社会に戻った美佐子。八文字家は、美佐子の母の苗字に替え、彼女も新しい苗字として暮らす。出所後、地元で彼女の姿を見たものは誰もいない。
(高橋ユキ)

【参考資料】
「週刊文春」昭和50年7月10日号
「週刊新潮」昭和49年11月14日号
「週刊文春 1990年1月4日号
「週刊ポスト」昭和49年11月15日号
「週刊大衆」昭和49年11月21日号
「女性自身」昭和50年6月26日号
「微笑」昭和50年4月26/昭和49年11月30日号
「アサヒ芸能」 昭和50年1月16日号

最終更新:2019/06/12 11:26
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