サイゾーウーマンコラム仁科友里「女のための有名人深読み週報」嵐活休から考える伊藤綾子の策 コラム 仁科友里の「女のための有名人深読み週報」 嵐、活動休止発表までの時系列から紐解く……伊藤綾子の「ミセス二宮」計画の巧妙な策 2019/01/31 21:00 女のための有名人深読み週報伊藤綾子 週刊誌スクープの「時期」を振り返る 16年のアヤコブログでの匂わせは、有料会員制サイトに掲載された、ある意味クローズドだったので、こっそりと優越感に浸りたいがためのものだったのかもしれない。しかし、17年6月中旬、よくも悪くも、二宮が嵐から自由になる可能性が出てきたのだ。稼ぎ頭であるタレントの結婚を事務所がおいそれと認めるわけがなく、人気があればあるほどタレントたちの結婚は遅くなるものだが、グループを離れて一人になるとなれば、それは千載一遇の結婚のタイミングだろう。そう考えた場合、世論を納得させるための既成事実の積み重ねとして、匂わせはある意味、有効な手段である。その場合、二宮も匂わせに肯定的であると見ることができる。 記者会見で、大野は活動休止について、18年2月に事務所に報告、18年6月に結論を出したと述べていたが、二宮とアヤコは18年4月に「女性セブン」にドライブデート、8月に「週刊文春」(文藝春秋)でモルディブへの旅行を報じられている。「女性セブン」に掲載されたときは、活動休止の話し合いの最終局面であろうことが想像でき、また「週刊文春」に撮られたときはすでに活動休止が決まっていたことから考えると、「撮られた」のではなく「撮らせた」のであり、二人の中で結婚は決まっていて、ゆっくりと段取りを踏んでいたのではないか。 18年3月いっぱいで「メディアに関わる仕事から、一旦離れたい」と芸能活動から退いたアヤコ。大野の「嵐としての活動を一旦終えたい」発言がなければ、「匂わせをしたことでファンを怒らせ、仕事まで失った」と見ることができるだろう。しかし、18年2月に嵐が事務所に活動休止の件を報告したという時系列から考えると、アヤコは「仕事を失った」のではなく、「結婚のために満を持してやめた」のではないだろうか。 「一旦離れる」ということは、戻ってくる意志があると見ることもできるはず。「もう一度戻る」といえば、マッカーサー元帥の「I shall return(私は戻ってくる)」が思い出される。日本人には連合国軍総司令官として馴染みのあるマッカーサーだが、フィリピン駐在の極東軍司令官であり、日本軍と戦ったことがある。1942年、アメリカ軍が劣勢となり、司令官であるマッカーサーが捕虜になることを恐れたアメリカ本国は、彼に撤退命令を出す。大統領命令なので仕方のないことではあっても、部下を見捨て、自分だけ家族と共にオーストラリアに逃げることになった屈辱から、「I shall return」と発言したとされている。その後、部隊を立て直したアメリカ軍は再びフィリピンに上陸。マッカーサーは自身の発言通り、もう一度戻ってきたのだった。 子供じみていそうに見えて、その実、巧妙に練られた作戦にも見えてきた「アヤコ事変」。メディアから「一旦離れたい」といったアヤコが、再び「ミセス二宮」としてメディアに登場するとき、私たちは彼女を「アヤコ元帥」と呼ぶべきなのかもしれない。 仁科友里(にしな・ゆり) 1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。 ブログ「もさ子の女たるもの」 前のページ12 最終更新:2019/04/08 19:16 Amazon 伊藤綾子 フォトエッセイ 『 みんなの知ってる伊藤さん、みんなの知らない綾子さん。 』 ニノは綾子のどこが好きなんだろうか 関連記事 小室圭氏は、皇室の“暗黙の了解”を理解していない……金銭トラブル「解決済み」の文書に思うこと立川志らく、友井雄亮の純烈脱退へのコメントに見る“時代遅れ”の価値観と自意識Mattの傲慢な態度に見る、“怒らない、責めない親”桑田真澄の問題点松田聖子と神田沙也加の不仲報道から考える、“仲良し母娘”の定義バカリズムの「自己顕示欲を斬る芸」に抱く、「なぜ標的は女性だけなのか?」という疑問 次の記事 嵐・松本、ソロ志向報道を暗に否定 >