昭和40年代、DV・モラハラという言葉がなかった時代の「夫からの恫喝と暴力」の悲劇
――当時はまだ、お見合い結婚のほうが多かったと聞きます。恋愛でスピード結婚されたというのは珍しいですね。では、結婚から出産にに至るまでは順調だったのでしょうか?
私が妊娠して4カ月になる頃、主人は突然仕事を辞めました。理由は後でわかるんですが、そのときは、「都内まで通うのが負担だったからかな」と思っていました。「仕事どうするの?」って聞いたら、「一緒に食堂をしたい」って言うんです。それで、ここから一駅先のところに自宅を兼ねた店舗を借りて、開業しました。
――料理を作ったのは、どちらですか?
主人は板前修業をしていたとはいっても調理師免許は持っていなくて、1人じゃ何も作れない。私はというと、実家はお寺ですし、高校の頃住んでいたところもお寺です。たくさん人がやってくることもしばしばで、その都度、料理の盛り付けなどをしていたので、慣れてたんです。それで、お店を軌道に乗せつつ、昭和40年代前半に娘を2人産んで育てて――と、そんな生活を送っていました。
――家事と子育て、そして仕事と大変そうですね。だけど、順風満帆だとも思えます。
いえいえ。それがね、主人はおかしなぐらいやきもち焼きで、束縛をする人だということがわかってきたんです。月島市場を辞めたのも、「食堂を始めたい」って言ったのも、実はそれが理由だったんです。お店だったら、私と一緒にいられますから。
私がまだ長女を産む前の正月、店舗兼自宅に主人が自分の友達を呼んで宴会をしたんです。夜も遅くなり、皆さん帰っていかれたんですが、1人だけ戻ってきた人がいました。「鍵を忘れてしまった」って言うんです。店の中を見てもらったんですが、なかなか出てこないので、私も店に入って、その方と2人で一緒に鍵を探したんです。そのとき、主人はすでに寝ていたのか、鍵探しの場にはいませんでした。たしか、鍵は無事に見つかったのかな。その方は帰っていかれました。その後ですよ。大変だったのは。
――えっ、どういうことですか?
鍵を探して以降、主人はなぜか私の浮気を疑いだしたんです。おなかの子を「浮気相手と作ったんだろう」と言って聞かないんです。もちろん、根拠は何もないですよ。
疑われていたといっても、私以外の人にはすごく人当たりが良かったので、誰も気がつかなかったと思います。だから私以外からしたら、これ以上ない、立派ないい旦那さんという感じでしょう。しかし、信じてもらえないかもしれませんが、とにかく嫉妬されたり束縛されたりと、いろいろな仕打ちを受けました。