『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』永井義男×『男娼』中塩智恵子×現役風俗嬢・曼荼羅【座談会・後編】

遊女の初体験、男娼との3Pや性病まで! 吉原遊廓の“お江戸性事情”座談会

2018/07/01 21:00

 遊女の初体験――お赤飯を配る意味とは?

中塩 ところで、江戸時代から残っている言葉なのかわからないのですが、「水揚げ」という言葉は当時ありましたか? 今だと、お客さんがホストやキャバクラ、風俗を辞めさせる時に使うんですが。

永井 江戸時代にも水揚げという言葉自体はありましたけど、今とは意味が違いますね。江戸時代の水揚げは、いわゆる“初体験”の意味。男は“筆おろし”、女は“水揚げ”と言いました。

曼荼羅 えー!! なんだか逆の意味ですね。遊女の水揚げはどんな感じだったんでしょうか?

永井 大体10歳前後で吉原に売られた女の子は禿(かむろ)として育てられるのですが、数年はお客をとりません。というのも、まだ初潮を迎えていないですから。初潮を迎えると、いよいよ水揚げとなります。今でも聞いたことがあるかもしれませんが、“お赤飯”を炊いて周りに配るんです。「もういつでも(セックス)できますよ」という意味を込めてね。

中塩 水揚げは、どんな人にお願いしたんでしょう?


永井 大体ベテランのお客さんにお願いしたみたいですよ。お得意様で、性格が良くてガツガツしない、年齢が少しいっている人。「今度○○ちゃんが水揚げなので、お願いしますよ」とコッソリ頼まれるんだとか。

曼荼羅 吉原で働いている男性が手ほどきをするわけじゃないんですね!

永井 働いている人は決して手を出してはいけないというルールがありましたからね。内部で性関係ができると経営が成り立たないから。

中塩 遊び慣れているお客さんに水揚げしてもらうんですね~。現代とは意味が全く違うなんて驚きでした。

吉原と日本人のセックス四〇〇年史