カルチャー
[サイジョの本棚]

切迫する生活と死の気配が官能的な空気を作る、異色の恋愛小説『じっと手を見る』

2018/06/17 19:00

■『じっと手を見る』(窪美澄、幻冬舎)

 6月の雨の中、樹海近くの町の古びた一軒家でのひそやかな情事から始まる小説『じっと手を見る』(幻冬舎)。富士山を望む小さな町で、介護士として忙しく働く日奈を中心に、4人の男女の視点で、それぞれの恋や執着が巡る連作短編集だ。恋愛小説では避けられてしまうことの多い、老いや生活感が恋愛と深く絡まり合い、色濃く、官能的に仕上げられている。

 幼いころに両親を亡くし、学生時代に唯一の肉親だった祖父も失った日奈は、老朽化した家に一人で暮らし、「年寄り相手に大変な仕事して、休みになったらモール行って、ユニクロとか無印で服買って、なんたらフラペチーノとかばっかり飲んで」いる生活を淡々と続けている。元恋人で、なにかと世話を焼きに来る介護士仲間の海斗を横目に、職場で取材を受けたことをきっかけに知り合った、東京に住む「宮澤さん」と初めて恋に落ち、町を飛び出す――。

 日奈や海斗が住む小さな町にあるのは、さびれた商店街に、人がにぎやかに行き交う大型ショッピングモール。体もメンタルも削られる重労働を誠実にこなして、贅沢は望めないが、不自由なく生きていくことができる。それは、地方や郊外にありふれた光景だろう。

 「親父たちはまだ夢見られたよな、ぎりぎり。俺たちには、それすら許されない。失敗したら絶対に浮き上がれない」と語る海斗と、東京・港区の裕福な家庭に生まれ、似たような育ちの妻を持ち、何回でも失敗できる“余裕”を持っている宮澤は対照的な存在だ。人生の全てが丁重にお膳立てされ、生きている実感がぼんやりとしている宮澤は、若くて可愛いのにきつい仕事を選んで、黙々と地味な生活を続けられる日奈に、否応なく惹かれていく。しかし、彼が惹かれた日奈の生命力は、唯一の肉親を亡くしてさえも立ち止まることを許されない、穏やかだが切迫する生活の裏返しにある力でもある。それは、幸か不幸か、おそらく宮澤には一生得ることのできないものだ。

 一方で海斗は、日奈への思いを引きずったまま、やたら自分に絡んでくる胸の大きな同僚・畑中と体を重ね、関係を深めていく。介護する老人に平然と胸を触らせ、口の悪い物言いで職場の女性陣から嫌われがちな畑中だが、彼女主観の短編(「水曜の夜のサバラン」)を経たあとでは、彼女の寂しい生い立ちや、老いて弱っていく人々に冷たくできない不器用な一面が浮き彫りになってくる。

 どんな登場人物も、一つの身体の中に愚かなところと美しいところを抱えながら生きている。そして、どんな生き方をしていても、いずれは必ず死という1点で結ばれる。そんな当たり前だが厳しい世界観を自然に漂わせている本作だが、同時に恋愛が上手くいかない人、間違ってしまった人も柔らかく許容している。ふだん恋愛小説を苦手だと感じている人にも薦めたい一冊だ。

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