“中学受験”に見る親と子の姿

私立中の懇談会で「こんな偏差値の低い学校に」と泣く母――中学受験での不合格は“負け”なのか?

2018/04/08 17:00
dannsityuugakusei404
Photo by Photography from AC

“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 受験というものは残酷なものでもある。その結果が“合格”と“不合格”の2択になるからだ。“不”というたった一文字で“天国”と“地獄”に分かれてしまう。特に中学受験は“母子の受験”と呼ばれるほど、母の介入度が激しい世界なので、満足のいかなかった“結果”は母を悶えさせるに十分な痛みとなるのだ。

 毎年、偏差値順で2番手校以下に当たる私立中学の入学式後に行われるクラス懇談会では、こういう光景は最早、デフォルトである。

 自己紹介の席上、泣き出す母が出現するのだ。「本当なら、こんな(偏差値の低い学校の)席に座っているはずもないのに……」と。

 つい最近も、こういうメールが私の元に届いた。


「息子は滑り止めのA中学しか受かりませんでした。息子は『あんな学校、行かない! 公立にも行きたくない! どこにも行かない!』と言って暴れています。ここ数カ月、私の心はボロボロです……」

 このように、眩しい思いで入学式の桜を見上げる母ばかりではないという現実がある。

 だからと言って、私は中学受験を悪い物とは思っていない。物事は同じことが起こったとしても、自身の考え方次第で、いくらでも“意味のある現実”にすることが可能だからだ。私は中学受験において、1回は自分の番号がない掲示板を見た方が絶対に良いと思う派である。その理由は多岐に渡るが、今回は、連戦連敗を喫した子どもと母、そして塾の先生のやりとりを見ながら、「不合格だったからこそ、得られるもの」について書いてみよう。

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