サイゾーウーマンカルチャー漫画レビューフィギュア少女の「孤独」に私たちは救われる……『スピン』の描く苦しみ・喜びの福音 カルチャー 『なんかおもしろいマンガ』あります ~女子マンガ月報~ フィギュア少女の「孤独」に私たちは救われる……『スピン』の描く苦しみ・喜びの福音 2018/03/25 17:00 マンガ『なんかおもしろいマンガ』あります小田真琴 確かに孤独だった“私”が、救われる 思えばフィギュアスケートは本邦の少女マンガにおいても格好のテーマであった。槇村さとる『愛のアランフェス』『白のファルーカ』、おおやちき『雪割草』(いずれも集英社)、川原泉『銀のロマンティック…わはは』(白泉社)、小川彌生『キス&ネバークライ』(講談社)……。その多くにあってフィギュアスケートは、人生そのもののように描かれていた。 本作も紙幅の大半はフィギュアスケートの描写に割かれているが、心に響くのは主人公の葛藤や悲しみを綴るモノローグだ。それはフィギュアスケートというスポーツの特異性に因るところが大きい。「このスポーツは生き方とセットだ。そこに選択の余地はない」のだ。滑ること、踊ることは運命のようなものだと、ある種のスケーターは見る者に思い知らしめる。そして華やかさとは裏腹なその残酷さが、人々をまた惹きつけるのだった。 脆弱な繊細さを抱えた私たちは、あるときは孤独でありたいと思いながら、またあるときはそれを寂しいとも思う、わがままな存在だ。人は1人では生きていけないこともわかっているのだが、他者の無神経や悪意に傷つけられたくはない。消去法として選んだ孤独にとって、恋は福音なのか、猛毒なのか。 本作は明確な答えを提示する類のものではなく、ただ1人の女性の青春時代を描く。私たちはそこにかつての自分自身を見るだろう。たとえ30歳、40歳になっても消化しきれない、あの頃の苦しみや喜びが、ただそこに表現されているというだけで、今の私も、あの頃の私も救われるのだ。確かに私は孤独だった、でも私は孤独ではなかったのだと。 12年間続けてきたフィギュアスケートに別れを告げ、二度とスケートはしないと誓った2年後のある日、主人公はふらりとアイスリンクを訪れる。スケートをするためではない。「立ち去れることを自分に証明する必要があった」のだ。鮮やかなアクセルジャンプを着氷した彼女は、そそくさとリンクを出る。フィギュアスケートのジャンプの中で、アクセルは唯一前を向いて踏み切るジャンプだ。跳ぶたびに彼女はこう願ったという。「ターンして踏み切る一瞬、今度こそうまく行きますようにと全身全霊で祈った」。私たちは今日も祈りながら跳んでいる。 ※原文ママ。同性愛者全般を意味する。 小田真琴(おだ・まこと) 女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題がほしかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14架を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「FRaU」「SPUR」「ダ・ヴィンチ」「婦人画報」などで主に女子マンガに関して執筆。2017年12月12日OA『マツコの知らない世界』(TBS系)出演。 前のページ12 最終更新:2018/03/25 17:00 Amazon スピン 今夜はあの頃の私に優しくなれそう 関連記事 シンデレラ願望を打ち砕く傑作『やんごとなき一族』、“王子様”との「その後」を描くどん底・絶望・依存の果ての「希望」とは? 高浜寛『SAD GiRL』の残酷で美しい世界仕事&男を捨てリスタート、『凪のお暇』が現代女性の“リセット後”の困難を描く2017年女子マンガに現れた「クソ男キャラ」4選! “絶望”を読者に見せる時代に?オンナを描く漫画家・鳥飼茜に聞いた、女社会の“本質”と母親という女について 次の記事 「港区の高級マンション」なのにクソ物件!? >