「妊婦なのにOL時代の服を着ていた」三男を抱えながら、節約して夫の借金700万円を返済
――旦那さんは、子育てにどうやって関わったんですか? 子煩悩でしたか?
「俺は仕事を優先するから」って明言していて、離婚するまでの間、子育てにまったく関わらなかった。私にどれだけ熱があっても、彼は寝ていましたから。子どもが成長していくにつれ、鉄棒、キャッチボール、補助なしの自転車と、いろいろ付き合ってあげるじゃないですか。そういったことは、普通父親がやりますよね。だけど、うちは別。それらは3人とも全部、私が付き合いました。
――旦那さんはその分、仕事熱心だったんですか?
飲食の仕事で、勤めては辞め、勤めては辞めを繰り返していました。プライドが高いし、困難なことがあると逃げちゃう人なので、人間関係で衝突したりすると、すぐ辞めちゃってた。長男が生まれてからすぐ、彼の実家のある関東北部のG県で飲食店に就職したんですが、そこも1年弱で辞めました。そうやって退職を繰り返しても、飲食業界は求人が多いので、なんとかなってたんです。もちろん、辞めるごとに、給料は下のランクからになりますけどね。
――職を転々とするたびに、引っ越してたんですか?
G県のホテルを彼が1年弱で辞めてからは、多摩にある私の実家に引っ越しました。でも、実家にいたのも1年ほど。というのも、次男が生まれたからです。それからは、新婚時代に住んだあたりに、また引っ越しました。その後、父が二階建ての一軒家を買ってくれてからは、別居中のとき以外、ずっとここに住んでます。
――次男誕生後の生活は、どうだったんですか?
今は健康そのものなんですが、生まれた頃、次男は体が弱くて、何度も手術を繰り返していました。それで私、落ち込んじゃって、よく泣いてました。夫は慰めるどころか「そんなふうになるんだったら、子どもなんて産むな」って怒鳴るんです。腹が立って「そんなこと言ったって……」って言い返したら、「かわいくねえな」って怒鳴りながら、平手打ちされてしまって、私は口の中を切ってしまって、そのとき「この人とは、ずっと一緒にはいないかも」って考えが、頭の中をよぎりました。
――借金は、いつ返し終わりましたか?
北京オリンピックが開催された年に三男を産んで、それからまもなく借金を返し終わりました。限界まで節約したことで、少しぐらいねぎらいの言葉があるかと思ったら、まったくない。それどころか、見下したような話し方と態度でした。たとえば食事時に、料理が気に入らなかったのか、いきなりキレて「こんなもの食えるか」って怒鳴りながら、茶碗やお皿を投げ捨てたことすらありました。
――以前のように、旦那さんから暴言を吐かれたり、叩かれたりしたのでしょうか?
もちろんされました。三男が生まれて、私がつきっきりになっていたとき、長男が若干荒れちゃったんです。通っていた小学校は、そんな長男の異変を把握していたようで、ある日、学校から連絡があって「発達検査を受けるように」と伝えられました。学校から言われたことを泣きながら夫に伝えると、「お前の育て方が悪いからだ」って素っ気なく言われたんです。「全部が全部、私のせいにばかりしないでよ」と泣きじゃくりながら言い返したら、「かわいくねえな」って怒鳴られて、叩かれたんです。そのとき私、「この人とは終わった」って直感的に思いました。