『ガキ使』『有吉ジャポン』にも出演! タレントは全員オネエの“ゲイ能事務所”が好調なワケ
テレビ業界では、すっかり欠かせないポジションであるオネエタレント。いまやその姿を見ない日はないほどだが、意外にもゲイ向けではない一般メディア向けのオネエ専門プロダクションは、いままで存在していなかったという。そこでゲイの聖地である新宿二丁目から、次世代のオネエタレントを生み出そうと「二丁目プロジェクト」というゲイ能人専門事務所を立ち上げた、NYプロダクションの松林佑典社長に、事務所設立の経緯やタレントの活動内容などについてお話を伺った。
■「二丁目のママを集めた事務所ができたらおもしろいね」
――そもそも、どのような経緯で「二丁目プロジェクト」を立ち上げたんですか?
松林佑典社長(以下、松林) 最初はというか、現在も経営していますが、「NYプロダクション」というグラビアアイドルをメインとした芸能事務所を設立したんです。私はそれまでゲーム会社に勤めていたんですけど、元々起業したいという気持ちがありました。同級生の結婚式で映像ディレクターをしていた友人と再会し、「芸能事務所なら、誰でもできるよ」と言われ、会社を辞めまして、具体的にどうしたらいいかっていう話を、その友人と渋谷のお店でご飯を食べながらしたんです。
当時の僕は本当に何もわからなかったので、「芸能事務所ってどうすればいい?」と聞いたら、友人は「可愛い女の子がいたらグラビアアイドルになれるよ」と。そこで、食事をしていたお店で働いてた子を指して「あの子は?」と聞いたら、「なれるよ」と言ったので、その場で「グラビアアイドルをやりませんか?」とスカウトして、所属することになったんです。その後、知人から紹介されたイベントコンパニオンの子も入ってくれることになって、芸能事務所をスタートすることになりました。
――そこからなぜ、オネエ界に進出したんですか?
松林 これも最初は、全然そんなつもりはなかったんですよ。それまで単純に新宿二丁目に行ったことがなかったので、一度行ってみたいなとは思っていたんです。それで知人に紹介してもらったのが、よっちゃんというママがいるバーだったんです。僕はノンケなんですけど、よっちゃんにすごく気に入られたんですよね。よっちゃんは、もともと芸能界でスタイリストをしていて、その当時もある芸能プロダクションに所属してタレント活動もやっている人で、その契約が切れるので次の所属先を探してるタイミングだったんです。僕が「芸能事務所をやっている」という話をしたら、よっちゃんが「ダーリン(松林さんの呼称)のところに行くっ!」っていう流れになって、ウチの所属タレントになったんです。そのよっちゃんが、「もっとオネエを集めよう」って提案してくれて。
――よっちゃんさんが旗振り役だったんですね。
松林 「有名なオネエタレントは多いけど、みんな事務所がバラバラ。二丁目のママを集めた事務所はないから、それができたらおもしろいね」っていう感じで。よっちゃんは顔が広いので、いろんなお店を紹介してくれたんですよ。それからは、週6~7ペースで新宿二丁目に通ってスカウト活動。3カ月ほどかけて、15人が所属してくれることになりまして、NYプロダクション本体とは別ブランドの事務所として「二丁目プロジェクト」を立ち上げました。
――スカウト活動は大変でしたか?
松林 よっちゃんにずっと「二丁目受けするわよ~」とは言われてたんですけど、実際に二丁目に通ってると、交差点に立ってるだけで、いきなりキスされたり、エレベーターで2人きりになったときに襲われそうになったりとかあったんで、それなりに大変でしたね(笑)。