“女医タレント”にこだわる西川史子に見る、「母親の夢を全てかなえる娘」の陰
西川には兄がいるが、医師に向かないと判断した母は、娘を医者にすることを決める。「若い頃の夢を捨て、医師の妻として生きる道を選んだ」母の意を汲んだ娘は、希望通り医者となる。そんな従順な西川が、唯一反抗したのが、芸能界入りだったらしく、
「それまで親のいいなりだったのに、その時だけは我を通しました」
「理由は自分でもよくわかりません」
と述べている。
西川本人は人生最初の“反抗”だと思っているようだが、違う角度から見ると「父の後を継ぐために兄の代わりに医者になった娘が、今度は母親の若かりし頃の夢をかなえようとしている」……つまり、新たな期待に応えようとしているとも言える。コミュニケーションの世界では、人は、言葉でのコミュニケーションが3割、あとの7割は“空気”で会話をしていると言われるが、西川は母の言葉とは裏腹の“本音”を読んで芸能界入りを決めたのではないだろうか。ちなみに今は、両親とも西川がテレビに出ることを喜んでくれているそうで、西川が「芸能人であり続けること」に執着するのも合点がいく。
西川が、母親との精神的距離を近くしたきっかけは離婚だそうだが、母は「相手とは合わない」と思いつつも、「どんな相手でもいいから、40前に一度は結婚させてあげたかった」とまるで離婚することを見越していたかのような発言をしたとのこと。西川が離婚したことで、母娘の絆はますます深まったそうで、西川は母から「結婚し、出産した後、初恋の人の家に行き、妻を見て帰ってきた」という、過去の未練系ホラー話まで聞かせられたという。私の感覚では、そんなこと言われても「だから何よ」だが、西川はその話を聞いて「嬉しかった」そうだ。
西川は、同誌のインタビューを、「無理やりにでもレールを敷き、その道に導いてくれた母に今は感謝しています」と結んでいる。ここでいうレールとは、言うまでもなく医者になることだが、私には西川の離婚も含めた人生全てがお母さんの敷いたレールに見えてならない。自分の夢を全て叶え、独り身で子どももいないので、老いてもそばにいて、過去の恋愛話まで肯定的に聞いてくれる。他人が口を挟むことではないと知りつつも、恐ろしいほど完璧なこの筋書きが、どうしても偶然とは到底思えない。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。
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