『記憶をつなぐラブレター 母と私の介護絵日記』著者・城戸真亜子さんインタビュー

「認知症の義母に対して距離を持って見ている」城戸真亜子が語る、無理をしない10年介護

2016/12/02 15:00

■介護は、人間的なものに気づかせてくれる貴重な時間

――認知症が進むと本人の意思を確かめるのも難しくなってきますし、最期をどのように迎えるかについて、家族は答えが見つからない中で考えなければいけないというのは、つらいと思います。

城戸 家族は、本当にいろいろ考えますよね。ただ、それがまた大事なのかなとも思います。家族が亡くなったときというのは、「ああしておけばよかったんじゃないか」「こうするべきだったんじゃないか」と、ふだんはバラバラの家族が膝突き合わせて考えますよね。命を終える人は、ある意味、家族を取り戻そうとしてくれているという見方もできるんじゃないかなって思います。残された人のことを考えてエンディングノートを書くのも手ですが、「本人がこう書いていたから、こうする」と、事務的に進めていくのも寂しい感じがします。

――確かに、老いていく人は家族の迷惑になりたくないと考えがちですが、残される人にとっては、やれることはすべてやってあげたいと思うものですよね。

城戸 オリンピック選手のように、力強く生きている人は皆応援しますが、ひとつの命が終わっていくことに関しては、目をそらしてしまいがちです。ただ、私は身内に介護が必要な人がいたら、自分が損をするという気持ちにならずに、得がたい経験をさせてもらっていると考えた方がいいと思うんです。実際に介護を通して得るものも大きいので、今は大変だけど、後になって振り返ったとき、それが良い時間になると伝えたいです。


――いま振り返られて、「仕事を少しセーブして10年以上介護をした自分」と、「そうしなかったときの自分」を想像して比べるとすると、どのような違いがあったと思われますか?

城戸 私は義母の介護があったからこそ、今ちゃんと立っていられるんだと思っています。もし介護がなくて仕事だけの人生だったら、自分のことしか考えられない人間になって、「自分はダメで、足りない人間なんだ」って追い詰める一方だったんじゃないかなって。

 私は、人間って周りの人との関係の中で生かされていると思っているので、一人だけの力で満足のいく人生を送ろうと思っても、限界があるはず。いま頑張って活躍している人も、周りの力があって自分の力が発揮できていると思うんです。それに、気づけばいいことなんですけれど、私みたいになかなか気づけなかった人間にとってみると、義母との生活はそのことに気づかせてくれたと感じています。介護ってネガティブなイメージがつきまといますが、人間的なものに気づかせてくれる貴重な時間なんじゃないかなと思っています。
(末吉陽子)

最終更新:2016/12/02 23:51
記憶をつなぐラブレター 母と私の介護絵日記
始まりも終わりが見えないのが介護