[サイジョの本棚]

「変容する自分」を楽しむ2冊! 性的に開眼した女の書簡集『マドモアゼルSの恋文』、“中年~お婆ちゃんの空白地帯”をつづる『わたしの容れ物』

2016/07/10 19:00

――書店にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン(サイ女)読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します!

■『マドモアゼルSの恋文』(ジャン=イヴ・ベルトー編、齋藤可津子訳、飛鳥新社)

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 およそ100年前、パリに実在した独身女性が恋人に送り続けた手紙を収録した書簡集『マドモアゼルSの恋文』(飛鳥新社)。本作は、その奥ゆかしいタイトルと装丁からは想像もつかない、不道徳が詰まった異色の1冊です。

 若き独身女性シモーヌが、約2年もの間不倫関係にあった妻帯者シャルルに送り続けた手紙。それは、上流階級の淑女のものとは思えないほど、性行為についてばかり描写されていました。前日の行為について、次に会う時の行為について、笑ってしまうほど緻密に描かれた手紙が収められた本作が、それでも単純な不倫ポルノグラフィーに終わらないのは、想像の斜め上を行く2人の関係性の展開にあります。

 交際当初は、男性シャルルを主とするSM的関係にあったとみられる2人。けれども、次第にS的役割を担うようになったシモーヌと、「男性に貫かれたい」という同性愛嗜好を告白したシャルルの関係は逆転し、いつの間にかシモーヌが主導権を握るように。その後、互いに性別を超えた「2人4役」での性行為の快楽にハマった彼女は、シャルルの真の欲望を満たそうと、ベッドに別の男性を引き入れ、2人に同性愛行為を促しますが――。本書に収められた50通近い手紙から、シモーヌが目まぐるしく変わる性的関係に溺れていく様子が間近に見て取れます。


 こういった恥ずかしい手紙を書く行為自体が、すでに前戯・プレイだったのだろうと推察できますが、内在する欲望が書き表されることで、よりシモーヌをインモラルな方向に刺激したことは想像に難くありません。

 シャルルは少しずつ彼女と距離を置き、最終的に2人は別離に至ります。一方的に距離を置かれたシモーヌは、感情が入り乱れた切ない手紙の中でも「わたしの唇に向けられた亀頭があります」と、セックスについての描写を続行。これで最後になるかもしれない、と前置きした切実な手紙で「不愉快にさせたことは忘れてください。(略)お尻の穴につけられた唇、そしてお尻に嵌まるわたしのペニスのことだけを考えてください」と書く彼女の境地には一生たどり着けそうにありません。けれども、シモーヌが真剣だからこそ、笑っていいのか哀れんでいいのか受け止めきれず、チャップリンの「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」という名言を思い出させられます。シャルルが離れていった本当の理由はわからず、少なからず消化不良のまま本を閉じることになりますが、読者はシモーヌのその後について、今後しばしば思いを馳せることになるでしょう。

 彼女の、執拗なまでに性を求める姿勢について、編者は“心離れしつつある男性を強い刺激で引き留めるための、女性らしいひたむきな行動”というふうに分析しています。確かに、そうだったのかもしれません。けれども、中盤に「別の女性を仲間に加えたい」というシャルルの提案を却下していたシモーヌが、程なくして新たな男性を(半ば無断で)引き入れてきたという鬼畜な経緯を見るに、決して男性のためだけではなく、自身の欲望を正直に追求した結果なのかもしれません。おなかをすかせた子どもが無心にご飯を食べるように、シモーヌが奥底に生まれた欲望を埋めることに夢中になっていたとすれば、そこにある種の純粋さ、凄みすら感じてしまうのです。

 『マドモアゼルSの恋文』は、普通に生きていたら感じることはできない、ドロドロした情愛の川を泳ぎきろうとすることの危うさ、哀しさ、そんなところからも生まれるかすかなおかしみを垣間見ることができます。仄暗い道に引きずりこまれた女性が、徐々に変容し、好奇心から自ら歩みを進めるようになり、深みにはまる――そんな一部始終を見ることができるのも、後ろめたくも読書の1つの楽しみではないでしょうか。