女子アナ・加藤綾子に欠けているモノ――「有働アナに嫉妬しました」発言の迂闊さ
羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今回の芸能人>
「有働さんに最強に嫉妬しました」加藤綾子
『土曜プレミアム 一流が嫉妬したスゴい人』(フジテレビ系、5月14日)
自己満足ではない、行き届いた優しさには“悪意”が必要と前回書いたが、“悪意”の含有量が一番重要なのは、女子アナという職業ではないだろうが。芸能人と一緒にテレビに出て、親しくなることもあるだろうが、芸能人ではないので表向きは馴れ馴れしくしてはいけない。派手な職業に見えるけれど、自分は一会社員であるので、視聴者と同じ側の人間であると思わせなければならない。このように、視聴者の“悪意”を先読みして行動するためには、自分自身も“悪意”を持つ必要がある。そういう“悪意”が足りなすぎるように見えるのが、元フジテレビアナウンサー・カトパンこと加藤綾子である。
女子アナにキャラが必要な昨今、“親しみやすさ”を出そうといろいろ挑戦しているようだが、私には成功しているように感じられない。昨年出演した『ボクらの時代』(フジテレビ系)において、カトパンは「(フジテレビの)会社説明会で自己紹介をした時、(周りの人が)慶應大学ですとか早稲田大学ですってなって、泣いて帰った」とエピソードを披露している(カトパンは国立音大卒である)。善良な人は、「カトパンにも学歴コンプレックスがあったんだ!」と感動するのだろうが、カトパンはフジテレビ、日本テレビ、TBSから内定を得ているわけで、このエピソードは悪意的に解釈すれば「学歴がそれほどでなくても、超難関職種の内定を3つももらえる」という自慢になってしまう。
カトパンは「自分をダメということ」が自虐だと思っているようだが、それでは不十分である。テレビ番組で必要なのは、「周囲が思っている、悪意的に捉えられた自分」と「実際の自分(現実)」の乖離を笑う自虐なのである。
例えば、女子アナ界の自虐の女王は、NHKの有働由美子アナウンサー。有働アナが変装(ニッチェ・江上敬子のような髪型のヅラと、浜崎あゆみばりのでっかいサングラス着用)をして、元プロ野球選手・石井琢朗の家に通う姿を写真週刊誌に撮られたことがある。石井が元アイドルと離婚直後だったことから、「実は不倫していたのでは?」と騒がれたが、その際に有働アナが放った自虐が「私はこんな見てくれなので、オトコを盗られることはあっても、盗ることはない」。世間が知りたいのは不倫が「事実」かどうかだが、そこには触れず、アイドルと自分であれば、アイドルの方が性的価値が高いという「周囲の思い」をうまく利用したコメントである。
マツコ・デラックスは『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)において、カトパンを「がつがつしてない」と述べたが、カトパンは人にどう見られているかという意識が女子アナにしては、かなり薄いタイプなのだろう。