釈由美子、愛犬の死を通して「強くなる」宣言も……彼女を「弱い人間」と思わないワケ
「これまで味わったことのないショックで、壊れてしまうんじゃないか」と対人トラブルをほのめかしながらも、釈が本当に壊れて、仕事に穴を開けたなどの騒動は報道されていない。愛犬さくらを亡くした際も、「私のうちに来なければ、もっと幸せに長生きできたかもしれない」と、飼い主として不適格だと自分を責めているが、懲りることなく、再び犬を飼っている。
そして愛犬こころを亡くして再び自分を責めているが、2日後のブログには、「(愛犬が)まだここにいる気がして、不思議と寂しくない」と自分の気持ちを述べ、「こころが私のスネあたりでぴょんぴょん飛び跳ねるリズムと同じ感覚で、(子どもが)お腹を蹴っている」「ベビちゃんが『元気を出して』って励ましてくれるのかな」「ベビちゃん、ありがとう」などと、子どもへの愛情と、自身のメンタルの安定についても言及している。身重の釈にとって、ペットロスは大きすぎる負担であり、メンタルが回復することは喜ばしいが、「筆舌に尽くしがたい」とか「十字架を背負っていく」と表現した割には、いきなりの大団円である。
落ち込みやすい人、落ち込みを隠さない人は、一般的に“弱い”と言われる。けれど、私はそう思わない。私が見てきた範囲に限って言うならば、落ち込みやすい人は「自分中心な人」である。うまくいかないこと、失敗することは、誰にでもある。それは経験や準備不足、場合によっては不可抗力によってもたらされる「しょうがないこと」で、個人の尊厳を傷つけるものではない。それを防ぐためには準備に集中するしかないのだ。
が、「自分中心な人」は、“失敗という事実”そのものに傷つけられ、そんな自分は周囲から「不当に扱われている」と感じて犯人捜しを始める。犯人が見つからないと自分を責めるが、それは一種の逆切れであり、反省ではないように思えてしまう。「自分中心な人」は傷つけられた自分についてばかり考え、失敗をもたらしたプロセスに興味を持たないので、また同じ失敗を繰り返して落ち込み、場合によっては「私は運が悪い」と言い出すのだ。
釈もそのタイプだと言うつもりはない。が、とりあえず言えるのは、この人はかなり不安定であるものの、かなり強いということ。家族を含めた周囲は大変だろうが、今後も安定した不安定ぶりを発揮することだろう。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。最新刊は『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)。
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