サイゾーウーマンカルチャー女性誌レビュー「婦人公論」はなぜ読者に「語らせる」のか カルチャー [女性誌速攻レビュー]「婦人公論」3月8日号 不満を共有し読者に“自分語り”の快楽を与える、「婦人公論」の奇跡のシステム 2016/03/03 18:00 女性誌速攻レビュー婦人公論 ないのなら、作ってしまえ、ホトトギス。無理やり「ポジティブ」を自家栽培しようという企画も。その方法が「スリー・グッド・シングス」。これは、「寝る前などに、その日に起こった良いことを3つ探し、ノートや手帳に書きだす」というもの。しかし「スリー・グッド・シングス」の書き方例には、「職場で部長が『コピーはいいですはんそん』と懐かしいダジャレをかまして得意顔。あまりのくだらなさに大笑い」「尊敬する映画好きの先輩に、新聞で読んだ映画に関する記事をメールで送ったら、『さすが情報ツウの○○さん』と褒められて、嬉しかった」など、ネガティブ感情と表裏一体となりそうな、危険なグッドシングスが並んでいました。 以前、積んだ徳をポイント換算する「貯徳ノート」なるものが登場していましたが、「婦人公論」は「実際に書く」「毎日声に出す」など、フィジカルを使った自己催眠が大好物。ただこの方法でポジティブを大量に自家栽培させ、余ったポジティブを各所に無理やりおすそ分けしまくった結果、肥大化したポジティブに飲み込まれて消えてしまった方(その名はベッキー)を知っているだけに、なんともコメントしづらいのがつらいところ。みなさん、ポジティブ栽培はどうか計画的に。 ■借金やDVと「不潔」が並列になる、これぞリアル 思えば「婦人公論」は100年の歴史の中で、ずっと読者に「書くこと」を求めてきた媒体。ご機嫌への道を阻むドロドロした感情を一つずつ書き表し、言葉にすることで、ドラマへと昇華させてきたのでした。作家・ドリアン助川と教育実践研究家・菊池省三の対談「『ウザイ、キモイ』で完結させない いじめをなくす“言葉のシャワー”」では、「教育の場においての言葉の力」が主題となっています。 その中で「言葉とは、すなわち認識です。言葉を持っていなければ、違いを認識することもできません」(ドリアン)、「たくさんの言葉を知っていれば他者の違いは『区別』として認識できるけれど、偏った言葉しか知らなければ『差別』として表れる」(菊池)と語っています。これは子どもに限ったことではなく、たとえば「婦人公論」では「夫が嫌い」「姑を生かしちゃおかない」「ご近所が腹立つ」といった感情を、あの手この手で言語化することで、それぞれの胸の中にストンと納めてきました。 さて「書くこと」の大きさをあらためて思い知らされたのが、今号の読者ノンフィクション「“運命”という落とし穴」です。「情愛の薄い親子関係の中で育ったせいか、私は『強い結びつき』を感じさせる誰かを求めていた」という40代後半の女性。相手が子どもを欲しがらなかったことから最初の結婚は破たんし、生活のために働きに出たスナックで「運命の出会い」が。「ある日、ボックス席でAと私が並んで座っていると、不意にお互いの手が触れ、そのままひっそりと手をつないでしまった。その瞬間から彼が『特別な相手』になったのだ」。 前のページ123次のページ Amazon 婦人公論 2016年 3/8 号 [雑誌] 関連記事 誰もが自分語りしたくなる……「婦人公論」100年の秘訣は女たちに与えてきた“ヒロイン感”なぜ女は自分の墓と葬式にこだわるのか――「婦人公論」から浮かび上がってきた切なすぎる理由怪談より怖い生身の人間……今号も人間の業と家族の呪縛があふれる「婦人公論」現役か、降りるか……「婦人公論」世代が直面する、自身の中の「女」との向き合い方「婦人公論」矢口真里のお詫びよりも深刻な、シングル・ファザーの差し迫った現状