橋本マナミをけん制する壇蜜に見た、“負け上手”らしからぬ格付け意識
みうらじゅんや、リリー・フランキーなどサブカル界の重鎮のお墨付きを得て、一気に売れっ子となった壇蜜だが、各種の取材にブレークの原因を「絶世の美女ではないから」と答えている。これが“負け上手”の最たるものである。ブレークして知名度が上がれば、注目度は増す。ここで、新たな支持層がつかめるかは勝負になるわけだが、例えば「私には若さだけでない、特別な魅力があるから」と特別感をアピールした場合、「調子に乗りすぎだ」とアンチを生み出しかねない。「絶世の美女ではない」発言は、日本語としてはブレークの原因に対する答えとなっていないが、この発言はファンでもアンチでもない、中間支持層に「冷静に自分を見られている」「ちょっと面白そうな人」と思わせ、興味を引かせるのに最適なのだ。壇蜜はほかにも「トシには勝てない」という発言もよくしている。
また、「(男性に)負けてあげる」発言も多い。壇蜜を「知的だ」とあがめる男性は多いが、『ボクらの時代』(フジテレビ系)において、「グラビアはオツムが弱いのが専売特許」「グラビアとかヘアヌードをやってる女が好きと言うのは、(男性にとっては)恥ずかしい(ことだ)から、(壇蜜は)知的ということにする」と分析。けれど、「本当の私はそうではありません」と主張することはしない。他人からの評価に介入しないのもまた、“負け上手”の特徴である。
余談だが、“負け上手”は、異分野へ参入する際にプラスになる。お笑い芸人・ピースの又吉直樹も“負け上手”である。又吉といえば、『火花』(文藝春秋)で芥川賞を受賞、240万部の大ヒットを記録したことは記憶に新しい。作家となるには、何らかのプロテストに合格し、文芸誌に載せてもらい、作品を生み出し続けなくてはいけないのだろうが、その“下積み”を経験せず、いきなり執筆の機会を得た又吉に対して、面白くない感情を持つ人がいることは想像に難くない。そこをねじ伏せるのが、“数字(セールス)”と“負け上手”な姿勢である。バラエティ番組で、「芥川賞という名誉と多額の印税を手にしても、又吉は何も変わらない」という企画を目にしたが、これはプロテストを通った“正統派”の小説家への絶好のアピールであり、「そんな又吉の作品だったら読んでみたい」と読書習慣のない一般人に思わせるきっかけとなる。
壇蜜は「ライバルは自分の慢心」と語り、挑発発言をする橋本をけん制した。正論だが、私から見ると、それは壇蜜らしくないのである。壇蜜が「第二の又吉」になるために必要なのは、いかにして“負け上手”をキープできるかに思えてならない。
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。最新刊は『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)。
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