『老人たちの裏社会』著者 新郷由起さんインタビュー

「高齢者は弱者」という幻想を暴いた、『老人たちの裏社会』著者が語る“老いの孤独”

2015/10/25 16:00

■死ぬよりも老いることが難しい時代

――老人たちが“グレる”原因は何だと思いますか? 若い頃からそうした行為に走る要素を持っていた、という説もありますが。

新郷 昔、老人になるのは難しいことでした。身体的にも経済的にも恵まれた人だけしか、老人になるまで生き永らえることができなかったからです。ところが、今は誰でも老人になれる。だから、年を取って“グレた”のではなく、もともとそういう可能性のあった人が、年を取って顕在化してきたというのはあると思いますね。また、子どもの頃に敗戦とその後の混乱期を経験し、価値観がガラッと転換した結果、自己崩壊が起こって、暴力性が高まったという論説を唱える研究者もいます。それから、前頭葉の萎縮も原因のひとつですね。病症が相当進行するまでは、外見は普通で日常会話もまとも。それなのに脳がダメになっているんです。こういう人は判別が難しい。

――高齢化社会になり、“グレる”可能性を持つ老人の絶対数も多くなったのでしょうか。

新郷 65歳以上が4人に1人以上となって、もはや高齢“化”社会ではありません。既に“高齢社会”であり、“超高齢化社会”なんです。松田聖子が10年前に写真集を出したとき、イチゴ柄のビキニを着てバッシングを受けましたが、40歳を過ぎてそんな水着を着ても、今ではそれが別に叩かれることではないと思う。時代の移り変わりは目まぐるしく、今や60歳の還暦を迎えて、赤いちゃんちゃんこをもらって喜ぶ人は少ないでしょう。昔の60歳と今の60歳じゃ、意味も価値も全然違うんです。そもそも、65歳から100歳超までを一律に“高齢者”とくくるのにも無理がありますよね。およそ40年もの年齢差があるんですから。といっても、ものすごく若い80歳もいれば、くたびれ果てた65歳もいます。個人差は大きいですね。


――経済的な面も含めて、老後が二極化している気がします。いい年の取り方をするのは、難しいですね。

新郷 本のあとがき、カバー袖にも記したように、「死ぬよりも、上手に老いることの方が難しい時代になってしまった」。これが一番言いたかったことです。年を取ると、これまでその人がどう生きてきたかがあらわになる。その集大成が死んだときなんです。死の現場を8年取材して、しみじみと感じました。列席者が100人いても、その人たちがみな「せいせいした」という顔をしているお葬式もあれば、身内と縁が切れていて、同じアパートの下階に住んでいた、たった1人が骨を拾うお別れもある。でも、その1人が男泣きに泣いている。それだけで、亡くなった人がどれだけ大事な存在だったかがわかります。貧乏でも、1人で死んだとしても、それ自体はまったく悪いことなんかじゃない。「1人で死んでかわいそう」と、一方的に憐れむ方が本人に悪いですよ。

『老人たちの裏社会』