仁科友里の「女のためのテレビ深読み週報」

青木裕子の不出来アピールから、「日テレ女子アナ内定取り消し騒動」の争点“清廉性”を暴く

2015/03/26 21:00

 90年代の赤文字系雑誌には、女子アナの私物をチェックというコーナーがあり、多くの女子アナはエルメスやシャネルなど、ブランド物を公開していたが、渡辺だけが、何の変哲もない財布を紹介し、「おばあさまに頂いたもの」とコメントしていた。今と違って、90年代はまだスーパーブランド信仰が強かった時代。そんな中、渡辺は「みんなが崇拝するブランド物を良しとしない私は、みんなより一段上」という非常に面倒くさい感じが漂っていた。

 俄然、興味を引かれてウォッチを始めると、ことあるごとに、渡辺が「テレビ局に興味がないのに、採用されてしまった」というエピソードを繰り返していることに気づいた。が、しばらくして、この話が嘘であることがわかる。渡辺と同年代の元NHKアナ・草野満代が、フリーになった直後、トーク番組で自分のこれまでを写真とともに語っていた。すでに大学3年生の頃NHKに就職したいと心を決めていた草野は、NHKで番組制作のバイトをするのだが、その時のバイト仲間が渡辺で、一緒に写真に納まっていたのだ。

 「不出来」「不本意」を表すことは、贈答品に「粗品」と書くことに似ている(新しい店のオープン時に配られるタオルなどの粗品ではなく、きちんとした贈答品を想像していただきたい)。のしがついた贈答品は、品格と誠意を感じさせる。「粗品」と書いているが、中身は「粗」ではないことは明らかだ。のしと包装紙をはぐと、そこには選びぬかれた逸品が現れ、ありがたい気持ちになる。

 女子アナは自分で「不本意」「不出来」という名ののしを掛けることによって、自分の「うまみ」を倍増させ、人気者になれる。人気のアナウンサーは局の財産であるから、大事にされる。となると、「不本意」「不出来」と言うことは行動や本音とは別の次元の行為であり、この嘘こそが、テレビ局の求める「清廉性」だと私は思う。

 「プロ彼女」という言葉がある。コラムニストの能町みね子とマンガ家の久保ミツロウが作った言葉で、その定義は「芸能人やスポーツ選手のみと付き合うものの、本人は無名。過去にモデル等をした経歴があってもその証拠を残さず、報道では一般女性とされる」「彼女としてのプロ」なのだそうだ。一般人では最強レベルだが、芸能界で通用するほどではないという、ある種の中途半端さを感じさせる言葉だが、女子アナも同じではないだろうか。


 女子アナは「プロ素人」なのである。学生時代にタレントとしてプロダクションに所属した過去があっても、ホステスのバイトをして高給を得ても、仕事で出会う芸能人やスポーツ選手と交際しようとうわべの態度では、「私は会社員です。視聴者の皆さんと同じ一般人です」と徹底した態度を取ることが求められる。そのためには本心や真実はどうであれ、「知らない、わからない、できない」としつこく繰り返す必要があるのだ。

 無事に入社した女子アナは、現在研修中だそうだ。なかなか肝の太そうな彼女の健闘を祈りたい。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。
ブログ「もさ子の女たるもの

最終更新:2015/03/26 21:00
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「おばあさまに頂いたもの」の一言にくぅ~!!