女性議員の女性差別やセクハラで見つめ直したい、「女性の多様化」の意味
要するに「橋本にはおとがめなし」という、納得のできない結果と終わってしまった。これでは、「女性なら男性にセクハラをしていい」という悪しき前例を作ってしまう。一部の女性が権力を持つようになる時代だからこそ、それは許されないと言うことを示すべきだったと思う。
■自分と違う思想を持つ女性が増えるのは必然
さて私は、自分のことを「サヨク」の「フェミニスト」だと思うが、「ウヨク」で「権力志向」の女性が増えることは、ある種の必然だと思っている。女性の生き方が多様化すれば、当然こういう女性も出てくるからだ。女だからといって、みなが「平和を愛し」「差別を憎む」というわけでもない。権力志向で女性差別をする女性もいれば、権力を持ったことで若い男性にセクハラする女性もいる。逆に言えば、男性だからといって、みなが権力志向でもないし、みなが女性差別やセクハラをするわけでもないということだ(ものすごく当たり前のことなのだが)。
ただし、私は「女性の多様化」は支持するけれど、個別に「こういう女性を支持するか」と言われれば、まったく支持しない。女性の生き方が多様化するということは、「同じ女として」共感できる女性ばかりではなくなるということだ。(連載3回も参照して欲しい)
それでも、「同じ女」と目に見えない檻があるよりも、生きる選択肢が増える方がいいと思う。 そもそも「女だからわかり合える」というのは幻想だし、世の中にはまったく理解できない女がいた方がいいと思うからだ。そして「妻だから」「母だから」といって「同じ」ではないし、わかり合えるわけでもない。実際、今回話題となったの女性政治家たちも、既婚者も子もちもいる。妻だろうと母だろうと、女性差別もすれば、セクハラもするというわけだ。
何度も言うが、私は彼女たちを支持しないし、女性差別やセクハラをする女性がいれば全力で批判するが、それは「同じ女として恥ずかしいから」ではなく、「女性差別やセクハラをする人間は、男だろうと女だろうと卑怯だから」だ。
そして私は、今回の女性政治家たちが、「女性代表」という顔をすることには違和感を覚える一方で、「サヨク」で「フェミニスト」の女性政治家が「女性代表」と言うことにも実は違和感を覚えるのだ。なぜなら男性政治家は、「男性として」「男性代表」とわざわざ言わなくていいのに、女性はむりやり「女性」を言わなければならない。しかし、どんな女性でもすべての女性を代表できるわけではない。男性だってそうだろう。
女性政治家、女性経営者、女性管理職、女性科学者など、女性の数と比率を増やすことはとても大事だと思う。そうすれば、「女性」であることよりも、「政治家」や「科学者」などの、「仕事の中身」が重要になってくるからだ。多様化ということは、理解できないもの、共感できないものも増えるということであり、むりやり「同じ女」という共通点を探す必要はないのだ。
深澤真紀(ふかさわ・まき)
1967年、東京生まれ。コラムニスト・淑徳大学客員教授。2006年に「草食男子」や「肉食女子」を命名、「草食男子」は2009年流行語大賞トップテンを受賞。雑誌やウェブ媒体での連載のほか、情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)の水曜コメンテーターも務める。近著に『ダメをみがく:“女子”の呪いを解く方法』(津村記久子との共著、紀伊國屋書店)、『日本の女は、100年たっても面白い。』(ベストセラーズ)