サイゾーウーマンコラム「母は理解できていない」生活が一変 コラム 老いゆく親と、どう向き合う? 「母は理解できていない」完ぺきな主婦で自信もプライドもあったが……生活が一変したワケ 2024/12/22 18:00 坂口鈴香(ライター) 老いゆく親と、どう向き合う? 写真AC “「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける” ――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社) そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。 目次 ・腕を骨折した母。リハビリで回復したはずだったが ・エレベーターがついていない団地暮らし、階段が難しい 自慢の母だったが、骨折で生活が一変 松丸佳代さん(仮名・62)の母サチヨさん(仮名・88)は、東北地方で独身の妹と二人で暮らしている。畑が趣味で、近くの畑を借りて、いろんな野菜をつくり、その野菜で保存食や漬物などをつくっては松丸さんに送ってきてくれていた。昔から完ぺきな主婦で、自慢の母だった。 畑作業で鍛えていたから、80代後半になるまで病気らしい病気をしたこともない。それでも帰る機会を増やして母親の様子を見るようにはしていたし、時には都内にある松丸さんの自宅に滞在してもらって、あちこち連れていくのも楽しみだった。 そんな生活が一変したのは、サチヨさんの骨折だった。バランスを崩して、椅子から落ちて腕を骨折してしまったのだ。幸い、すぐに手術してボルトを入れてもらい、手も上がると聞いて一安心していたが、妹からサチヨさんがしばらく入院すると連絡があった。 「母は足が弱っているという自覚があったようで、ついでに歩行のリハビリもしてもらうために入院期間を延ばしてもらったということでした」 松丸さんは気づいていなかったが、サチヨさんは徐々に身体機能が落ちていたのだ。それでも2カ月ほど入院し、リハビリに励んだおかげで、サチヨさんはもとの生活ができるくらいに回復した。また自宅で生活できると喜んでいたのだが――。 エレベーターがついていない団地暮らし、階段が難しい サチヨさんと妹が暮らす団地は古く、5階建てだがエレベーターがついていなかった。サチヨさんがリハビリにこだわったのも、3階の自宅まで階段で上り下りしないといけなかったからだ。 2カ月の入院とリハビリで、階段の上り下りはできるようになって帰ってきたはずだったが、その後サチヨさんの状態は急激に悪化した。あっという間に、再び階段の上り下りが難しくなったのだ。 階段だけではない。自宅での生活も心もとなくなっていると言う。家事をするどころか、ベッドから起き上がる、トイレに行くという動作だけで精一杯という状況だった。松丸さんはもちろん、サチヨさんも妹も想像もしていない状況に戸惑った。 「リハビリ中心のデイケアには週3回も行っているのですが、個別のリハビリは15分程度しかしてくれないと言うんです。母はそのことにも不満のようで、入院していた病院のように、理学療法士がしっかりリハビリしてくれる病院なら、また回復するのではないかと母は期待しているようなのですが……」 サチヨさんが再び入院してリハビリに励み、いったん回復したとしても、それはあくまで環境の整った病院内でのことで、自宅に戻るとまたすぐに状態が低下してしまうのではないか。松丸さんは危ぶむ。 「90歳近いのですから、状態の改善を望むのが間違っているのではないかと思うんです。今の状態を維持できれば御の字なのではないか……母はそれが理解できていないのだと思います。人一倍元気だっただけに、自信もプライドもあるのでしょう。それは決して悪いことではないとは思うのですが」 本当はもう自宅に戻るのは難しいのではないか。施設入所を検討する時期なのではないか――。そう考えていたとき、妹から連絡が来た。 ――後編は1月5日公開です 坂口鈴香(ライター) 終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 記事一覧 最終更新:2024/12/22 18:00 プライドとの折り合いは永遠の課題 関連記事 「遺産は姉弟できっちり二等分」のはずが――消えた株券、誰がこっそりやったのか?母の遺言でわかった、驚くべき事実――母の死でほどけた「呪縛」母は「もう家に帰れない」とわかって気力を失いーー老人ホームに移った半年後の姿「あの人を父親とは思っていません」父を捨てると宣言した娘、その理由は?「もうお母さんの面倒は見きれない」――“親を捨てた”子どもの事情とは? 次の記事 3万円パンプスを購入もガッカリしたワケ >