高校野球はブラック部活の代表例か? 「長時間練習すれば上達する」「大会での勝利が目標」という考えの問題
――学校側が止めても、顧問や部員たちが“自主的な練習”として活動をしてしまう「闇部活」もあると聞きます。
内田 “部活動の練習”として認めると問題があるので、朝や放課後の練習を“自主練”として、学校に届けず活動をする部活もあるようです。しかしこの「闇部活」、とても恐ろしい問題をはらんでいます。“自主練”といっても生徒だけで行うわけではなく、顧問の先生が個人的に引率したり、保護者が付き添ったりするでしょう。しかし、どちらにしても「学校が認めた活動」ではありませんから、何かトラブルが起きた場合に、責任の所在が曖昧になってしまいます。
「闇部活」中に子どもが大ケガをした、練習場所として借りていた施設を破損した、学校の楽器を運んでいたら落として壊した……そんな時、一体誰が責任を取るのでしょうか? こうした問題が起こる可能性について、顧問・保護者の認識が非常に甘い。近所の友だち同士で勝手に遊んでいるのとは状況がまったく異なりますから、思わぬトラブルに巻き込まれかねません。
――「練習のやりすぎ」をなくすためには、まず大会やイベントが多すぎる「大会のやりすぎ」問題を解決する必要がありそうです。
内田 まさにそうですね。今の部活は、練習試合、大会、地域の交流会など、年に何度も大会やコンクールなどがあります。もしかしたら、社会人より忙しいかもしれません。しかし、大会の数自体を減らすという動きは、実はほとんど起こっていない。
例えば吹奏楽部なら、コンクールには参加せず、地域の行事や学内演奏会などの活動をメインにする選択肢があってもいいはずなのに、ほとんどの学校が複数のコンクールを中心にして、1年のスケジュールを組んでいます。大人になったら、スポーツも音楽も“趣味”として楽しみながらやっていますよね。勝利や高みを目指して大会を目標とする活動のほかに、学生でも「趣味として楽しむ部活」という観点があってもいいのではないでしょうか。
――では逆に、「たくさん練習したくても、ガイドラインがあってできない子ども」に対し、顧問や親はどうしてあげるべきなのでしょうか。
内田 「がんばりたい子」のフォローは、部活改革の重要な課題です。ひとつの方法としては、民間のクラブなどに入って、そこで練習をすることが考えられます。誰よりもうまくなりたい、プロを目指したいという子どもに、質の良い指導を受けさせることもできるでしょう。あくまで部活の中で、ということなら、「長い時間練習すれば上達する」という考え方を変える必要があります。
例えば、週3日の練習で最大のパフォーマンスを引き出すためにはどうしたらいいか、顧問と生徒が頭を使って考え、密度・濃度の高い練習にシフトしていくのです。週3日のみ活動を行う部活が集まって、年に1回だけ大会を開催するというのもありでしょう。
「部活に入らないと内申点が悪くなる」という“勘違い”
――部活が過熱したり、「辞めたくても辞められない」生徒がいる背景には、“内申点”の存在があるように思います。「部活をやっていたほうが高く評価される」という“部活神話”も聞きますが……。
内田 学習指導要領の中で、部活は「自主的参加」です。要するに、部活をやっていないからといって、それをわざわざネガティブに書くことは、まずありません。一般論として、スポーツ推薦が欲しいとか、全国大会に進むほどの抜群な成績だったとか、そういった特殊な事情がない限り、部活は内申書において大きな影響力を持たないと言っていいでしょう。内申のため、部活を無理に続けるくらいなら、その時間を使って勉強したほうが、受験には有利ということになります。
また、学校側が明らかに逸脱した指導を行っているのに、子どもがそれを嫌がっておらず、なかなか止められないという場合もあるかもしれません。保護者としてはもどかしい状況ですよね。そのとき保護者は、「ガイドライン」を持って学校に相談するといいでしょう。法的な拘束力がないとはいえ、表立った基準ができたことで、学校側に意見が言いやすくなったことは確かです。
――「部活は内申点にほとんど影響がない」という事情は、顧問の先生なら知っているはずですが、部活動はなぜブラック化してしまうのでしょうか。
内田 リスクよりも、それによって“得るもの”のほうに目が向いているからではないでしょうか。企業がなぜブラック化するかといえば、従業員の健康被害や離職率よりも、“会社の利益”に目が向いているからですよね。
部活だったら、利益の代わりに得られるものは、“子どもの笑顔”や“達成感”でしょう。目標が高ければ高いほど、得られる感動や一体感は増していきます。先ほども言いましたが、部活って楽しいんです。喜びもやりがいもあるから、子どもたちは夢中になる。でもその一方で、苦しむ声が無視されていることを忘れてはなりません。
子どもを“ブラック”から救うために、大人がするべきこと
――現代では、「ブラック企業」に始まり「ブラックバイト」「ブラック部活」などの言葉が生まれ、組織が個人を酷使することが問題視されています。その中でも「ブラック部活」は、人生の中で一番最初に出合う「ブラック」ともいえそうです。
内田 「ここで頑張らないと、将来もっと大変なことがあったときに乗り越えられないぞ!」とは、キツい練習をさせるときの常套句ですよね。なんでこの先も「大変なこと」が起こる前提なんだよ、と思いますが(笑)。でもこの言葉こそが、現代の理不尽を強いる社会構造の表れです。
人より多く練習・仕事をすることは、「負けたけど頑張った」「成果は出なかったけどよくやった」という形で、“免罪符”になりがちです。練習時間の長さで出し抜こうとしたり、熱意を測ったりするのをやめて、早いうちから“ルールの中で最大のパフォーマンスを発揮すること”を学んでいくのが大事ですね。
そのためにはまず、先生や保護者が定時に帰宅することを徹底し、社会人の一人として、子どもに背中を見せる必要があるのではないかと思います。「がむしゃらに頑張る」一辺倒の構造に対し、「おかしい」と言える人間を育てていくべきではないでしょうか。