『皇室アルバム』カメラマンの証言から読み解く!“メディアと皇族”関係性悪化の歴史
――毎日映画社で『皇室アルバム』制作に携わる小金沢輝明さんという方によると、平成5年(1993年)頃、皇太子さま(現・天皇陛下)と雅子さまのご婚約発表あたりから、映像撮影の時間やアングルに厳しい制限が(おそらく宮内庁側から)課されるようになったとのこと。
堀江 もう少し、報じる側のメディアと、報じられる側の皇族がたに亀裂が深まった背景を深掘りした情報があるとよかったのですが、その背景が具体的にわかる記事が見つかりませんでした。良心的なテレビ番組を代表する『皇室アルバム』の名カメラマン・大谷さんが、皇族方のプライバシーについて、自発的に(?)口をつぐむようになった事態にこそ、すべてが集約されているのかもしれませんが……。
大谷さんによると、『皇室アルバム』用に皇族方が展覧会においでになったところを撮影するなら「(以前は)入られてからお帰りになるまで撮影できましたが、今は入場してから二分間だけとか、後ろ姿はだめとか、すべてにおいて厳しくなっています」。この厳しすぎる基準こそ、現在の宮内庁、ひいては皇族がたのメディアへの不信感のあらわれなのでしょうか。
――なぜ後ろ姿が撮影NGなのか、ちょっと疑問ですよね。ここ30年の皇室番組、皇室報道のマンネリ化と、そして一部の報道の過激化につながっているのは、宮内庁が皇族がたと国民の間に入ってしまって、情報の出し惜しみをするようになった部分も大きいかもしれませんね。
堀江 そうですね。何がそういう制限のきっかけとなったのか、興味深いですよね。かつては暴風雨に見舞われ、帽子や傘が吹き飛んでしまう昭和天皇のお姿を撮影し、それが堂々と放送されていた時代もありましたが、このように比較的自由な皇室報道がなされていた昭和を経て、平成以降はプライバシー問題などにかこつけ、報道内容に制限をかけたことで、皇族がたの“神秘化”が再び行われていったとも考えられますね。
また、“神秘化”=“神聖化”ともいえます。近年では、小室圭さんが眞子さんのお相手にふさわしいのかどうかという日本中を揺るがす議論も、逆に昭和の頃なら、発生しづらかったのかもしれない……などと感じてしまいました。
――この問題についても、カメラマン・大谷さんはなにかご存知かもしれません。しかし、完全に沈黙を守っておられます。
堀江 それこそ、民放最長寿番組である『皇室アルバム』の制作者にふさわしい格調高さの反映でしょうか。最近になって、宮内庁が新設した「広報室」が稼働しはじめたようです。しかし、初代室長は、警察庁出身の藤原麻衣子氏ということで、そのご経歴からして、ものものしい感じがします。
国民に皇族がたの情報を伝える既存のフォーマットとして、いずれも民放番組ではありますけれど『皇室アルバム』をはじめ、地上波では現在3つの「皇室番組」がレギュラーで放送中です。早朝の放送で『皇室アルバム』同様に高齢者以外に視聴者を想定していないようではありますが、フジテレビの『皇室ご一家』と日本テレビの『皇室日記』です。後者は92年に放送開始した『皇室グラフィティ』を前身に持ちます。
――前身番組のほうが、なんだか新しい空気感を反映したタイトルですね。
堀江 おそらく“若き皇族”として秋篠宮さまと紀子さまの人気が高かった当時に、新しい皇室番組を目指して開始されたのでしょうけれど、90年代前半の宮内庁が打ち出した、皇族方を撮影する際の厳格なルールが災いして、保守化せざるをえなかったのではないかと思われます。
地上波での3つの番組に加え、BSフジで「皇室のこころ」がレギュラー放送され、テレ東では「皇室の窓」が不定期放送されています。宮内庁内に新設された「広報室」が独自に情報発信することも結構ですが、これらの「皇室番組」の再活用も考えられていくとよいですね。