『夕暮れに、手をつなぐ』、北川悦吏子作品あるあるを徹底解説――令和とは思えない“昔懐かしさ”の正体
北川作品を語るうえで欠かすことのできない、“昔懐かしい”ルッキズムと偏見と権威主義が、今作にも存分に注ぎ込まれている。空豆は高校時代、あまりの美少女ゆえクラスでいじめられたという。「美人だから妬まれていじめられる」というステレオタイプの発想が、今日び大変珍しい。
北川作品でおなじみの「(大先生が思う)美男美女以外は“背景”扱い」という作劇も健在だ。空豆が、レコード会社のA&R・磯部(松本若菜)の友人・真子(馬場園梓)に「顔が地味」と言い放つシーンがあった。さすがに時流に合わせてプロデューサーが進言したのか、『半分、青い。』(2018年/NHK総合)の頃から比べると、今作では随所に「台詞がソフトに調整された形跡」が見受けられた。
しかし、「大先生」と「作品」と「ツイート」は「三位一体」の関係にあるので、普段からの大先生のTwitterでの炎上名人ぶりを見ていると、今作の初稿台本ではもっとあからさまな表現や、きわどい台詞があったのではないかと想像してしまう。
空豆のキャラクター造形に見え隠れする、「(大先生が思う)田舎者」への色眼鏡も相当なものだ。宮崎県の田舎町から東京に出てきた空豆は、はんてんのようなダサいコートをまとい、噴水の水で顔を洗う。TPOをわきまえず、所構わず野猿のように振る舞う。
空豆の話す“方言”には、大先生が適当に考えた「なんとなく九州とかそっちのほうっぽい」“チャンポン語”を当てている。生まれ育った土地の言葉は、その人にとってアイデンティティの一つだと思うのだが、「他者への敬意? 多様性の尊重? 知るかよ」という、平素からの大先生の思考を、包み隠さず作劇に反映する大胆さにはいつも新鮮に驚かされる。「鼻クソをほじくって練って机の下になすりつけていそうなほどにガサツな女性」である空豆という役を完璧に演じ切った広瀬すずの役者魂には拍手を送りたい。
「芸大」「パリコレ」「紅白」など、大先生の大好物である「権威」を象徴するキーワードの頻出ぶりも通常運転だ。なぜか急に天才として覚醒した空豆が、表参道のJIMMY CHOOのショーウィンドウを眺めながら「プラダもグッチもヴィトンも、みんなライバルよぉ」と大風呂敷を広げるシーンは、権威やブランドに憧れを抱きつつ、同時に内心では、自分自身も作品も「権威」であり「ブランド」であることを確信している大先生にしか書けないものだと感服した。