エリザベス女王と昭和天皇にみる「マスコミの情報操作」ーー“開示的”すぎた宮内庁の失敗とは?
堀江 はい。昭和天皇には秘匿されていた可能性は高いですが、おそらく陛下に近しい方々、そして現役の宮内庁関係者は全員、「昭和天皇は余命1年」などと知っていたのではないか……と推察します。「腸の通過障害を除去する手術」は、昭和天皇の膵臓がんが腸を含む全身に転移してしまっていたことを受け、少しでも余命を伸ばすための方策であったのではないでしょうか。
――「陛下に近しい方々」とは具体的にいうと?
堀江 三笠宮寛仁親王ご本人が「女性セブン」のインタビュー記事でわかりやすく解説してくださっているのですが、「われわれ(=皇族)の世界でいうと、両陛下をはじめとして皇太子ご一家(=現在の上皇さまご夫妻と、そのお子さまがた)は内廷皇族と申しあげており、常陸宮さまから、秩父、高松、三笠、私、桂、高円という宮さまがたは内廷外皇族」とのことで、「陛下に近しい方々」とはここでいう「内廷皇族」の方々であろうと思われます。
内廷外皇族は天皇に対して「距離」があって、たとえ寛仁親王のように、天皇陛下とは叔父と甥の関係でも、お見舞いが自由にできる立場とは違うのだ、とお話されています。
実際、寛仁親王は、このインタビューの時点で、昭和天皇の容態急変から3回(だけ)お見舞いに行けて、陛下の容態次第だったとは思うのですが、言葉を交わせた程度の交流が1度あっただけだったと明かしておられます。
――そのほかの皇室関係者はどうだったのでしょうか?
堀江 たとえば、戦後すぐに臣籍降下した旧皇族の方は、少なくともこの時の陛下に直接お会いにはなれず、昭和天皇にとっては「忠臣」にあたるような人物……たとえば、第二次世界大戦末期、天皇による「終戦宣言」を録音したレコードを決死の覚悟で守り抜いた逸話のある徳川義寛(元)侍従長にも、大きな距離がありました。陛下がもう亡くなりそう、という電話連絡すら入らぬまま、徳川元侍従長は崩御をラジオで知ったそうです(光文社「FLASH」89年1月31日号)。
しかし、「一般人」でも、重体の陛下にお会いになれる方がいました。民間に降嫁なさった元・皇女の方々です。
――次回に続きます。