一晩で10人以上と交わり、射精は月に2回まで……天皇家に伝わる非現実的な「セックス書」とは?
――平安時代でも、やっぱりスリムな女性しかモテなかったということでしょうか。
堀江 好みの個人差はあるでしょうけど、どんな体形もヨシとする「ボティポジティブ」の発想は、当時なかったと思いますよ。
『源氏物語』には、朧月夜(おぼろづきよ)というお姫さまが出てきます。光源氏が「なまめかしう、かたちよき女(=艷やかな美人)」なんて珍しく褒めているので、おそらく体もグラマラスな女性が出てくるのだけれど、華やか、奔放、性的すぎる彼女は光源氏の本命にはなれず、最終的には捨てられちゃう存在ですから……。
ただ、平安時代の日本でも本当に陰毛がない「白虎」の女性が喜ばれたかどうかはわかりませんねぇ。『源氏物語』を見ていても、「紫の上は白虎」なんて設定があるような気がしませんから。
――豊満な肉体は本命にならず、かといって、少女のように無毛が良いわけでもないんですね。
堀江 『医心方』「房内」の性知識……たとえば、男性が「接して漏らさず」=「ヤッてもイかない」などの行動理念は、江戸時代になっても現役だったんですけど、興味深いことに江戸時代の日本で喜ばれた女性器像と、『医心方』に書かれた理想の女性器像はかなり違うのです。
たとえば江戸時代では、成人後も陰毛が生えない体質の女性は「かわらけ」などと呼ばれ、あまり喜ばれる属性ではないという考えが一般化していました。土を焼いただけの粗末な土器というのが「かわらけ」という意味ですからね。
ガサガサの陰毛を荒野の雑草のように茂らせた女性は、江戸時代でもやはりダメだったみたいですが、ロリ系より、年相応に成熟した女性が好まれるようになっていました。要するに中国から性医学の知識を古代の日本は仕入れたけれど、その中でも生き残る知識と、淘汰される知識があったということです。