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ジャニー喜多川さん命日に偲ぶ
ジャニー喜多川さんの青春の地「高野山米国別院」、その父はエンターテインメントに「頭が切れる人だった」【命日に偲ぶ】
2022/07/09 17:00
諦道先生は、サンフランシスコ行きの船に乗り合わせていた米国大師教会信徒の植松磯男氏のすすめで、ロサンゼルスの大師教会に参拝し、高田主監にあいさつをしました。そして、高田先生に手伝いを頼まれてしばらく滞留することになりました。
最初は2〜3カ月のつもりでしたが、高田先生が急に日本へ帰国することになり、「次の先生が来るまで」という約束で大師教会を任せられることに。しかし、なかなか後任者が現れなかったために、諦道先生は一大決心をして大師教会のために尽力することを決め、大阪から栄子夫人を呼び寄せたのです。ここに、喜多川諦道第3代主監が誕生したのです。
喜多川先生は、とにかく非常にユニークな方で、ご自身のことを「ヤクザ」「遊び人」と平気で言う方でした。とはいうものの、それだけにとどまる人ではなかったことは明らかです。そうでなければ、10年間も教会の運営に携わることなどできたはずがないのです。諦道先生の帰国後は、どういう経緯か定かではありませんが、大阪で「杵万」というおかき屋、ぜんざい屋をやったりするほどの方で、ちょっと桁外れな、お坊さんらしくない方ですね(笑)。