韓国映画『バッカス・レディ』4つのセリフが示す、韓国現代史の負の側面を背負う高齢売春婦の悲しすぎる人生
それからどれほどの歳月が流れただろうか。60歳を過ぎたミスクに、もはや米軍兵士の慰安はできない。「ソヨン」を求める米軍兵士は10年も前からいなかった。それでもミスクは残りの借金返済のため、若い米軍慰安婦たちの世話役に回り、掃除や洗濯に精を出した。そして返済が終わった今、ようやくミスクは基地村を離れる時が来たと思ったのだ。
バスターミナルに向かうミスクは、悪夢のような日々の中で、つかの間に味わった幸せを思い出していた。かつて、「スティーブ」という黒人兵士と恋に落ち、2人は子どもを授かった。必ずミスクと子どもを呼ぶからね、と約束を交わして帰国したスティーブだったが、その約束が果たされることはなかった。
スティーブと愛し合い、これまでの苦労が一気に報われるような幸せを感じていたミスクに、さらに過酷な現実が待っていた。赤ん坊を抱えたままでは仕事にならないので、やむを得ず子どもを海外養子縁組に出した。ミスクはずっと、赤ん坊を捨てた悪い母親だと自分を責めながら生きなければならなかった。心の片隅ではスティーブからの便りを待っていたが、連絡が来ることはなかった。それでもミスクは、自分の人生はそう悪いものでもなかったと思う。米軍兵士に殺された慰安婦は数知れず、死には至らなくても殴られ、蹴られるという暴力は日常茶飯事だったからだ。
ソウルに出てきたものの、ミスクにできる仕事などほとんどなかった。生まれながらの貧困が、今もなおミスクを苦しめていた。食堂の手伝いなどで辛うじて生計を立てていたある日、ミスクは妙なうわさを耳にした。鍾路(チョンノ)にあるタプコル公園に、老人男性相手に売春をする「박카스 할머니(バッカス・ハルモニ、バッカスおばあさん)」がいるといううわさだ。己の年齢を考えて何度もためらったが、覚悟を決めてコンビニでバッカス(日本でいう「リポビタンD」のような栄養ドリンク)を何本か買うと、ミスクは鍾路へと向かった――。
以上は、高齢者の売春や貧困問題をテーマにした『バッカス・レディ』(イ・ジェヨン監督、2016)を見て、映画に登場するいくつかの手がかりをもとに、当時の韓国社会と照らし合わせつつユン・ヨジョン演じるミスクのそれまでの人生を描写したものだ。
あくまで私の想像を小説の形式を借りて書いたにすぎないが、本作を見て真っ先に私の頭に浮かんだのは、ソヨン(本名はミスク)の存在が持つ悲しい歴史の文脈だった。映画の冒頭でバッカス・ハルモニとなって公園にたたずむ彼女が、どんな人生を歩んで、なぜそこに立っているのか、「何が彼女をそうさせたのか」を理解する必要があると思ったのだ。今回のコラムでは、ソヨン(ミスク)の人生を通して、本作の意味を考えてみたい。
<物語>
鍾路一帯で老人男性を相手に売春をして生活している67歳の「バッカスおばあさん」のソヨン。客の間では“セックスのうまい女”として、鍾路一の人気を誇っている。性病の治療のために訪れた病院で偶然出会った混血児の少年ミノ(チェ・ヒョンジュン)を保護したソヨンは、トランスジェンダーの大家・ティナ(アン・アジュ)や義足の青年ドフン(ユン・ゲサン)らが暮らすアパートにミノを連れ帰る。
ある日ソヨンは、脳梗塞で倒れた常連のソン(パク・ギュチェ)から「自分を殺してほしい」と依頼される。かつての凛々しさを失い、家族からも見捨てられたソンへの憐憫に駆られたソヨンは、迷いつつもソンの頼みを受け入れる。これをきっかけに、ソヨンには同じような依頼が相次ぎ、彼女は戸惑いながらも彼らの死に手を貸すようになる……。
物語からもわかるように、本作は高齢者問題のみならず、トランスジェンダーや障がい者、混血児といった社会的弱者を中心に置き、「弱者が弱者を助ける」構図を見せることで、逆にそこに福祉や人権が不在・欠如していることを可視化した。本作はほかにも、韓国社会が抱えるさまざまな問題を含んでいる。その詳細を見ていこう。