芸能
[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

韓国映画『バッカス・レディ』4つのセリフが示す、韓国現代史の負の側面を背負う高齢売春婦の悲しすぎる人生

2022/02/25 21:15
崔盛旭(チェ・ソンウク)

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『バッカス・レディ』

『バッカス・レディ』/オデッサ・エンタテインメント

 ミスク(ユン・ヨジョン)は1950年、朝鮮戦争が始まる1週間前に生まれた。戦争についての記憶はないが、それが残した悲惨さだけは、身に染みるほど経験しながら成長した。彼女の故郷は韓国にはない。戦争勃発後、両親が南北軍事境界線(=北緯38度線)以北から南へ避難してきたためだ。南には親戚も友人もいない両親が、戦後の混乱の中で流れ着いたのは、北からの避難民たちが集まる貧民街、解放村(ヘバンチョン)だった。

 避難民たちは「38따라지(サムパルタラジ)」と呼ばれ、冷遇・差別されて、北の出身という理由で厳しく監視もされた。幼いミスクにとって、サムパルタラジとは戦争以外の何物でもなかった。そんな状況の中でも、両親は生き延びるため昼も夜もあくせく働いたが、貧困はあまりにも重い足かせだった。

 その足かせからは、ミスクも自由ではなかった。いやむしろ、それは分厚い壁となってミスクの人生に立ちはだかった。中学を卒業した彼女は、同じ境遇の多くの少女たちがそうであったように進学を諦め、「식모살이(シクモサリ、食母暮らし)」を始めた。

 貧しい家の少女が、経済的に余裕のある家に預かってもらう代わりに、無給で家事を手伝う――シクモ(食母)とはそんな存在だった。食べさせてもらうだけでも感謝しろということだ。ご飯の支度、洗濯、掃除から夜の戸締まりまで、終わらない家事に明け暮れる毎日が何年続いただろうか。だが、ミスクの家は一向に楽にならなかった。口を減らすだけではだめだ、金を稼がなければ意味がない。ミスクはシクモサリを辞める決心をした。

 新聞広告を見たミスクが訪れたのは、ソウルの清渓川(チョンゲチョン)にある小さな「工場」だった。子どもたちの縫いぐるみを作るその工場で、ミシンかけの仕事が彼女に与えられた。仕事は単純だったが、朝から晩まで、ときには徹夜で、ほとんど休憩もなく彼女はミシンをかけ続けなければならなかった。

 地下のミシン室は狭く、換気もできずにほこりにまみれていた。何度か喀血し倒れたこともあったが、ミスクは粘り強く耐えた。「給料が欲しければ働け!」と怒鳴る社長の声が耳に刺さる。「このままでは死んでしまう!」とミスクは叫びたかった。あまりにも理不尽な境遇だったが、そう思うたびに目に浮かぶのは両親の顔だった。自分が倒れれば両親は生きていけない。我慢を重ねたミスクの体は日に日に衰弱していった。そんなある日、彼女のもとにある誘いが舞い込んだ。1970年、ミスクがちょうど20歳を迎える年だった。

 それは、お国のために米軍を慰安する仕事、「米軍慰安婦」への誘いだった。工場の前で、若い女性に声をかける男をニュースや新聞で見たことがあった。当時新聞では「(北の)人民軍から韓国を守ってくれている米軍兵士の心身を癒やすことこそ愛国である」と「政府も奨励」しており、慰安婦たちは「外交官のような存在」だと持ち上げられていたが、ミスクはそんなことはどうでもよかった。実際世間では양공주(ヤンゴンジュ、洋公主)と蔑まれていることは百も承知だったが、お金が必要なミスクに、この誘いを断ることは到底無理だった。

 報酬はドルでもらえて、工場で働くより何倍も稼げるというのは、どんな言葉より魅力的だったのだ。数日後、工場を辞めた彼女は、男と一緒に「동두천(ドンドゥチョン、東豆川)」行きのバスに乗った。京畿道北部にある東豆川は、米軍基地と周りを囲む基地村(キジチョン)で知られた町だ。ミスクは、○○クラブという看板の掛かった古いアパートの一室に案内された。廊下にはすでに何人もの米軍兵士が彼女を待っていた。

 こうしてミスクは「ソヨン(So-young)」になった。まだ年若い彼女につけられたニックネームだった。米軍兵士相手の売春がどんなにつらくとも、それでお金を稼いで家族が幸せになれるのなら我慢できるとミスクは思っていた。だが、いくら働いてもお金はたまらなかった。収入のほとんどが、米軍兵士のあっせん料や家賃、食事代などの名目で「パパ」と呼ばれる男に奪われ、いつしか借金ばかりが膨らんでいった。

 ミスクが基地村にいることを知られて以来、両親との連絡も途絶えてしまった。彼女の居場所はもう基地村にしかなかった。絶望して自暴自棄になったこともあったが、ミスクには、ソヨンとして基地村で生き続ける以外に選択肢はなかった。

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