13年ぶりに息子と再会、手を握ると「やめてください」と拒絶され……子どもと生き別れた女性が今願うこと
『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?
第7回 檀恵美子さん(62歳・仮名)の話(後編)
「元夫の家に泊まりに行っていた息子を迎えに行くと、玄関のドアに貼り紙がしてあったんです。そこにはこう書いてありました。『当分の間、旅に出ます。この家には二度と近づくな!!』」
檀恵美子さん(62歳、仮名)は25年前に起こったことを淡々と語った。以来、彼女は息子と生き別れだ。
「まだ幼かった頃の、愛くるしかった息子に会いたいです……」
後半では、子どもを奪われてしまった経緯について記す。
前編はこちら
面会交流の後、連絡を絶たれる
――Bさんはわざわざ、檀さんの実家まで追いかけてきたんですね。
追い詰められた気がして怖くなりました。そこで、子どもを連れて乗用車で実家を出ました。ホテルを2〜3日転々としたんですけど落ち着かなくて。それでそのあと、喫茶店を兼ねている民宿に10日ほど泊まりました。その民宿は一般の道から見えないところに車が止められたんですよ。
――逃避行をされていたんですね。車が見えないとBも追いかけようがないと踏んだのですね。
そうです。でも10日目ぐらいに、連れ去り前から相談に乗ってもらっていた弁護士から宿に電話がかかってきたんですよ。「ある男性が市の法律相談でやってきて、あなたが言ってる話とそっくりなんですよ」って。私が相談していた弁護士の元を、Bが偶然訪れたようです。
――檀さんは、自分のことだと認めたんですか?
はい。すると担当弁護士、「Bさんが『戻ってこないか』と言ってます」って言ったんです。それには条件があって、育てるのは私が育てていい。だけど同じ市内に住むことと調停で話し合うことというものでした。それで結局、話がまとまって、Bの実家からかなり離れた団地に息子と2人で暮らすことになりました。
――実際、Bさんに子どもとの面会はさせていたのですか?
はい。その後、調停をしながら、月に1回会わせていました。スーパーの駐車場で引き合わせて、帰りは私がBの実家まで迎えにいくというものです。私は息子をBにたくさん会わせるつもりでした。
97年5月に最初の宿泊交流をしたあと、日帰りの面会交流を1回、そして7月に2回目の宿泊交流となりました。それで2度目の宿泊面会の終わりの時間に迎えに行くと家の入り口に貼り紙がしてあったんです。
「当分の間、旅に出ます。この家には二度と近づくな!!」
それ以降は連絡を絶たれてしまいました。