芸能
[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

実在の事件を忠実に描いた人気韓国映画『殺人の追憶』、ポン・ジュノが劇中にちりばめた“本当の犯人”の存在

2021/08/06 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

 このように映画は実際の事件をかなり忠実に取り入れ、警察側の実態を正確に描いたうえで、それをスリリングにシニカルに、コミカルさも混ぜながら非常に魅力的に描き出しているわけだが、決してそれだけで終わらせないのがポン・ジュノ監督である。ここからは、事件の背景にある「全斗煥軍事独裁政権」の時代が、映画の中にどのように盛り込まれているか、監督がそこにどのようなメッセージを込めているかを考えてみたい。

 前面には出てこないものの、この事件が全斗煥政権下で起こっていることは映画の細部の描写で的確に表現されている。例えば、この地を通る全斗煥「大統領閣下」の歓送のために女学生たちが動員される場面(そこに突然大雨が降りだす描写で、新たな事件と犠牲者の予感が喚起される)、パク刑事の部下であるチョ刑事も駆り出されて暴力的にデモ隊を鎮圧する場面、また86年に起きて国民の怒りを買った「ソウル大女学生性的拷問事件」の首謀者であるムン・ギドン元刑事逮捕のニュース、そして何度も登場する「民間防衛訓練」と「灯火管制」である。

 北朝鮮との対立がまだまだ生々しかった当時は、学校で定期的に防衛訓練を行い、夜間の訓練時には灯火管制が敷かれたことで犯罪件数も増えたとされている。これらの場面が軍事独裁政権の暴力性や抑圧を喚起しているのはもちろん、映画全体を覆う「暗さ」や「雨」もまた、時代の雰囲気を出すために作り手側が意識的に用いている表現である。

 なかでも、キャラクターとしてこの「時代」を具現化しているのが、常に暴力を振るっているチョ刑事である。軍用ジャンパーと軍靴に身を包んだ彼は、まさに軍事政権の暴力性の象徴であり、彼はその軍靴でデモ隊を踏みにじるのである。だがそんな彼が、ケンカの最中に靴の上から釘を刺され、放置していた結果、破傷風になって足を切断する羽目になるエピソードはとりわけ隠喩に満ちている。切断手術が行われる日、病院でパク刑事に渡された同意書の日付には「1987年10月20日」と記されている。

 そう、いつの間にか映画の時間は軍事政権が実質的に倒れたあの87年6月の民主化闘争の後に移行していたのだ。軍事政権が国民に屈服し、歴史から「退場」せざるを得なくなったのと同様、この場面を最後にチョ刑事も物語から「退場」するのである。こうした演出にはどのような監督の意図があったのだろうか? 連続殺人事件と軍事政権時代が決して無関係ではないことを喚起させるためではないかと、私は思う。

 全斗煥は光州で大量虐殺を犯したにもかかわらず、国家の最高権力者になった。その後も政権維持のため、政権に反発したり抵抗したりする人々を排除し続けてきた。街から組織暴力(ヤクザ)を一掃し更生させるという建前で、実は大勢の学生運動家や反政府的なジャーナリストを強制的に入隊させ、閉鎖的な環境で好き勝手に暴力を振るった軍組織「三清教育隊」が代表的な例だ。軍事政権への抵抗を試みた罪なき人々が、どれほど連行されては殺されたことだろうか。

 私は軍隊時代、何度も軍用道路の整備に動員されたのだが、時に地中から骸骨や骨が出てきて驚いたことがある。当時の部隊長が「おそらく三清教育隊に入れられた人のものだろう」と言ったことも鮮明に覚えている。実際88年には韓国国防省が、三清教育隊によって「死亡者54名、後遺症による死亡者397名、精神障害などの障害者2,678名」が発生したと発表している。これはまさに国家権力による「連続殺人事件」だったのだ。

 薄暗い地下の取調室で容赦なく行われる暴力と、真っ暗な田舎の夜道で起きる殺人という暴力は、本質的には同じである。虐殺という暴力で権力を手にした者が、「正義社会実現」を政権のスローガンとして大々的に宣伝し、「暴力」が「正義」に化けてまかり通っていた時代。それが、この連続殺人事件の背景である。レイプと殺人で邪悪な欲望を満たしたイ・チュンジェを生み出したのは、暴力で自らの欲望を満たした権力者が支配していた韓国社会そのものではなかったか――ポン・ジュノ監督が何度もさりげなく、象徴的に時代の状況を本作の中に入れたのは、「正義」に化けたあらゆる「暴力」を我々は忘れてはならない、さもなければ(国家・個人レベルでの)「連続殺人」はいつでも起こり得るというメッセージを伝えるためではないだろうか。

 事件は終わりを告げた。だが「忘れない」こと、それが私たちの権力や暴力へのまなざしとなるだろう。

 ポン・ジュノ作品から読み取れる政治性に関しては、これまでのコラム『グエムル―漢江の怪物―』と『パラサイト 半地下の家族』も、ぜひ参照していただきたい。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

最終更新:2022/11/02 18:35
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