サイゾーウーマン芸能韓流『逃げた女』の映画的話法を解説 芸能 [連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』 ホン・サンス新作『逃げた女』は、いつも以上に“わからない”!? 観客を困惑させる映画的話法を解説 2021/06/11 19:00 崔盛旭(チェ・ソンウク) 崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』 『逃げた女』「誰が逃げたのか」よりも描きたかったもの だがいずれにしても、重要なのは「誰が逃げたのか」という問題ではない。ホン・サンスの映画が、見方によって異なる複数の「シニフィエ」を持ち得るということにある。ホン・サンスが「反復・省略・曖昧さ」の話法を用いて描くのは、最終的に「ずれ」である。キャラクター同士のずれが、作品と観客のずれをもたらし、映画は必ずしも固定的ではないことを暴き出す。それは、映画というものがひとつの物語=真実を語ると信じられている中で、そんな真実は果たして存在するのかという問いを、ホン・サンスが自身の作品を通して投げかけているようにも感じられる。 本作では、それぞれのエピソードで女性たちは、介入してくる男性との対峙を余儀なくされる。カメラに顔を向けた女性と、カメラに背を向けた男性。彼らの会話はまったくかみ合わず、互いの相いれなさに絶望的な気持ちになるが、ホン・サンスが描こうとしているのは、まさにその「ずれ」にほかならない。 作品にこうした傾向が色濃く表れるようになったのが、『正しい日 間違えた日』からであることは興味深いといえるだろう。なぜなら、この作品をきっかけに彼はキム・ミニとの「不倫」が世に知られ、社会から想像を絶するバッシングを受けたからだ。主にインターネットの書き込みを通して拡散した2人に対する攻撃は、彼にとって「不倫」の2文字によって人格を踏みにじり、存在を否定しようとする、大いなる暴力として映ったに違いない。 何かひとつの状況でも、ホン・サンスにとっての見え方と社会の見方はまったく異なっているのだろう。何が正しく、何が間違いか? 答えはひとつに固定されておらず、私たちは常に「ずれ」とともに生きている。映画の中にも堂々と自らを投影し、妻子ある映画監督の不倫を描き続けるホン・サンスは、自身の経験を糧に、ますます自由な映画作りに邁進しているのである。 崔盛旭(チェ・ソンウク) 1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。 前のページ12345 最終更新:2022/11/04 18:14 Yahoo 自由が丘で [DVD] ハマるかさっぱりわからないか、という極端さがイイ 関連記事 ホン・サンス作品の神髄『ハハハ』――儒教思想の強い韓国で、酒と女に弱い“ダメ男”を撮り続ける意味とは?大泉洋ら出演『焼肉ドラゴン』から学ぶ「在日コリアン」の歴史――“残酷な物語”に横たわる2つの事件とはアカデミー賞6部門ノミネート『ミナリ』から学ぶ、韓国と移民の歴史――主人公が「韓国では暮らせなかった」事情とは何か?ウォン・ビン主演『アジョシ』から見る、新たな「韓国」の側面とは? 「テコンドー」と“作られた伝統”の歴史韓国映画が描かないタブー「孤児輸出」の実態――『冬の小鳥』 では言及されなかった「養子縁組」をめぐる問題 次の記事 眞子さまついに今秋結婚か? >