[連載]崔盛旭の『映画で学ぶ、韓国近現代史』

ホン・サンス新作『逃げた女』は、いつも以上に“わからない”!? 観客を困惑させる映画的話法を解説

2021/06/11 19:00
崔盛旭(チェ・ソンウク)

間違い探しのような『正しい日 間違えた日』

 もうひとつ、キム・ミニが初めてホン・サンス作品に登場した『正しい日 間違えた日』(15)を例に見てみよう。自分の映画の上映会の日を勘違いして水原(スウォン)にやって来た映画監督の、持て余した一日におけるひとりの女性との出会いを描いた作品である。

 映画は2つのパートに分かれていて、前半と後半はほとんど同じ内容・構図の反復なのだが、会話の内容や登場人物の行動に微妙な違いがあるため、観客は映画を見ながら自然と「間違い探し」をしている感覚になる。だが前述したように、映画はいちいち巻き戻して確認したりはできない。見ながらすでに曖昧になっていく記憶を手繰り寄せつつ、前半と後半ではどこがどう違うのか、そしてタイトルが示すように何が正しく、何が間違っているのかの答えを探そうとする。

 だがそもそも、「正しい」「間違い」とは何に対してのものなのだろうか。肝心の部分が省略されているため、観客にとっては映画のタイトルすら意味を失ってしまう。残ったのはただ、「同じ状況が持ち得る2つの展開の可能性」のみである。

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