世界中、所変われど……変わらない!? キューバにパレスチナ、各国の食事作りの“手伝い”をつづる『世界の台所探検』
しかし岡根谷さんのサラッとした筆致には驚かされる。インドでもコソボでもスーダンでも「東京からちょっと沼津に行ってきました」ぐらいの距離感のよう。タイでは食材探しに付いていけば山2つ越える羽目になったり、キューバではホームステイ先のアポ取りができているのかも不明のまま、ハバナから400キロ移動したりもする。それなのに「大変な思いして珍しいもの見つけてきましたよ!」的な見せ方、書き方が一切ない。相対する人々と食に対して心からフラットで、敬意を持った同じ高さの目線があればこそに感じた。
あちこちで現地の方々の生活に混ぜてもらい、台所で食事作りの手伝いをする。タイ山岳部の集落では籐を焼いて皮をむくと、ほくほくで甘みのある柔らかい可食部があることを知る(※日本の籐と同種かはわからず)。ブルガリアでは飛び上がるほど酸っぱいキセレッツなるハーブに驚き、キューバでは木で完熟させたアボカドのあまりのおいしさにおかわりをし続ける。未知の食材や料理、調理道具を知るワクワク感も散りばめられていて、楽しいことこの上ない。
しかしやはり食の形は変わろうとも、同じような人の思いがそこにはある。パレスチナの代表的な料理というマクルーバは「揚げ野菜と鶏肉と米を層状に重ねてひっくり返す豪快な炊き込みご飯」で、「みんなが集まる金曜日の定番」料理。大量に作るのが肝心のようだが、いくら食べても減らない。岡根谷さんは思わず「もう少し小さい鍋で作らないの?」と尋ねる。すると「みんなが集まるときのものだからね。私と夫の二人だけで作っても全然楽しくないでしょ?」と返された。
私は読んだ瞬間、新潟育ちの母の実家で作られる「のっぺ」が浮かんでならなかった。里芋などの根菜類と練りものをたくさん入れた煮ものだが、お盆や年末など人が集まるときに作るもの。「鍋いっぱいに作らないとおいしくならない」が叔母の口ぐせだった。そしてのっぺの大鍋がある光景は、私の中で楽しい思い出に満ちている。どこでも、あるものだなあ……。
所変われど変わらない人間の営みと食への思い。そういうものに触れたくて、岡根谷さんは旅を続けるのだろう。コロナ禍の現在、きっと旅をしたくてウズウズされているんじゃなかろうか。
コロンビアの「カレンタード」も実に興味深かったし、日常の料理をラクにするヒントもいくつか得られた。そうそう、蛇足になるが希代の食通でもあった中村紘子さんのエッセイ『アルゼンチンまでもぐりたい』(文藝春秋)に出てくる「ユダヤ人のペニシリンスープ」のことを詳しく知れたのも嬉しかった。旅と食を愛するあなたにおすすめ。
白央篤司(はくおう・あつし)
フードライター。郷土料理やローカルフードを取材しつつ、 料理に苦手意識を持っている人やがんばりすぎる人に向けて、 より気軽に身近に楽しめるレシピや料理法を紹介。著書に『自炊力』『にっぽんのおにぎり』『ジャパめし』など。