海外セレブコラム【後編】

ブリトニー・スピアーズにまつわる騒動を振り返る【前編】――大ブレークから転落、「精神的に不安定」なワケ

2021/04/16 21:39
堀川樹里(ライター)

2004年:幼なじみと酔った勢いで結婚、55時間で取り消しに

 ブリトニーの私生活はタブロイドの絶好のターゲットとなり、これまで以上にパパラッチに追いかけ回されるようになる。私生活は荒れ、04年1月に幼なじみのジェイソン・アレキサンダーと酔った勢いで結婚。事後報告を受けた母親リンとマネジャーのラリーはすぐに婚姻無効を申請するための弁護士を手配し、最初の結婚は55時間で取り消された。

 ブリトニーはその直後、ダンサーのケヴィン・フェダーラインと恋に落ちる。妊娠中の婚約者と子どもを捨てたケヴィンは金目当てのヒモ男だと叩かれ、ブリトニーは略奪ビッチと呼ばれるように。「早く家庭を築きたい」という願望が強かったブリトニーは我が道を突き進み、逆プロポーズして、9月にゴールインした。

2005〜06年:「子どもを危険な目に遭わせる悪い母親」と言われる

 ブリトニーは、すぐに子作りを始め、05年9月に長男ショーン、06年9月に次男ジェイデンを出産。20代前半で念願のママになれた彼女だが、06年2月には長男を膝の上に乗せて車を運転する姿などがパパラッチされ、「子どもを危険な目に遭わせる悪い母親」というレッテルが貼られてしまう。

 ケヴィンは、そんなブリトニーを精神的に支えず、彼女の金で豪遊。ブリトニーはブチ切れ、06年11月にケヴィンとの離婚を申請した。

2007年:自らバリカンで髪を坊主に!

 ケヴィンとの親権問題を抱えたブリトニーは、憂さ晴らしをするかのように夜遊びしまくった。全米がブリトニーの私生活に興味を持ち、大勢のパパラッチが彼女を追いかけ回した。まだ規制法がなかったためパパラッチ攻撃はひどく、おおらかな性格の彼女もイラつくようになる。


 この年、ブリトニーは仲良しだった叔母をがんで亡くし、信頼していた10年来のパーソナル・アシスタント、フェリシア・クロッタも辞任。誰を信頼してよいのかわからなくなり、精神的に不安定になっていった。

 2月、ブリトニーは自らリハビリ施設に入所するが、すぐに退所。同16日に、大勢のパパラッチに激写される中、美容室で自らバリカンで髪を坊主にした。メディアは「クレイジー」「メルトダウン」だと大騒ぎした。

 リハビリ施設への入退院を繰り返すようになったブリトニーは、その合間を縫い、ケヴィンと親権問題について話し合いを行った。しつこいパパラッチにキレて、傘で彼らの車を叩いた姿が再び「クレイジー」とメディアに大きく報じられ、精神的にますます追い詰められていった。

 4月、ブリトニーは長年マネジャーだったラリーを「リハビリ施設入所を強制」「イメージダウンしたのは彼の責任」だとしてクビにする。直後、父親ジェイミーが米芸能サイト「Page Six」の取材を通して、「もし親権を失うとしたら、それは彼女自身の責任だ」とラリーを擁護。ブリトニーは、代理人を通して、「長年、関係がよくない父親に、そんなことは言われたくない」と反発。6月には、母親リンが自分を騙してリハビリ施設送りにさせたと思い込み、弁護士を通して「私の息子たちに近寄るな」と決別宣告。両親との仲は最悪になった。

 ラリーをクビにしたブリトニーはこの頃、クラブで知り合ったサム・ラフティという男に信頼を寄せるようになり、マネジメントを任せるようになる。


 9月、ブリトニーは『MTV VMA』のオープニングパフォーマンスを務めるが、メディアは「体形が太い」「ダンスをせずにステージをウロウロしていただけ」だと笑い者にする。ブリトニーのファンはメディアのブリトニーに対する「悪意ある報道」を強く批判。過激になるパパラッチ、メディア報道の影響により、ブリトニーは親権裁判で不利になっていった。

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