アカデミー賞6部門ノミネート『ミナリ』から学ぶ、韓国と移民の歴史――主人公が「韓国では暮らせなかった」事情とは何か?
90年代以降は現在に至るまで、アメリカに移民してすぐに事業を始められるくらいの財産を持った「投資移民」が中心を占めるようになった。だがここで一つ疑問が生じる。軍事独裁が終わって民主化が実現し、これまでのように激動の歴史に振り回されることはなくなった今、韓国に住み続けてもなんら心配はないはずなのに、なぜ移民はやまないのだろうか?
数年前に韓国のテレビショッピングで「カナダへの投資移民」を紹介したところ、問い合わせが殺到して大きな話題となったが、チャンスがあれば韓国を離れたいという意識が根強いのはなぜか? なぜ住み慣れた韓国を捨て、未知の場所を目指すのか? この単純な疑問は、移民という現象が身近ではない日本人観客にも共有できるものではないかと思う。
この疑問を考える一つの例として、「遠征出産」なるものを紹介しよう。これは、本作での「ヒヨコ鑑定士」のような就職移民とは異なる。出生地主義を掲げるアメリカの特性をうまく利用し、臨月ギリギリの妊婦たちが団体でアメリカに赴き、そこで出産をすることで、アメリカで生まれた子どもに市民権が与えられるという戦略だ。そこまでして子どもにアメリカ国籍を持たせようとする韓国人の頭にあったのは、「兵役」という義務である。
よく知られているように、韓国人男子には「兵役」の義務があり、私の時代は3年間、今でも1年6カ月という兵役が課せられる。だが韓国とアメリカの二重国籍を持っていれば、兵役前にアメリカ国籍を選択することで、この義務から逃れることができるというからくりだ。どうにかして我が子を軍隊に行かせず、もっと楽な人生を送らせてあげたいという親心が生み出した技だともいえるが、よその息子の兵役逃れは「許せない」と憤る人も多い。こうした点は、ゆがんだ韓国ナショナリズムの興味深い部分でもある。