アカデミー賞6部門ノミネート『ミナリ』から学ぶ、韓国と移民の歴史――主人公が「韓国では暮らせなかった」事情とは何か?
<物語>
舞台は1980年代のアメリカ。韓国系移民のジェイコブ(スティーヴン・ユアン)は、家族を連れてアーカンソー州の田舎に引っ越してくる。妻のモニカ(ハン・イェリ)とヒヨコ鑑定の仕事に従事しつつ、長年の夢である農場作りを実現するためだ。妻は、心臓に病気を抱える息子デビッド(アラン・キム)や長女のアン(ノエル・ケイト・チョー)ら、家族を顧みずに夢ばかり追う夫に不満を爆発させ、新しいすみかとなったトレーラーの中では夫婦げんかが絶えない。
そこで彼らは、韓国からモニカの母親・スンジャ(ユン・ヨジョン)をアメリカに呼び寄せ、一緒に暮らすことにする。唐辛子の粉や漢方薬、ミナリの種をカバンいっぱいに詰め込んでやって来たスンジャは、「ザ・韓国のおばあちゃん」。花札に興じて奇声を上げる祖母・スンジャの姿に、デビッドは自身が思い描いてきた「グランマ」とのギャップを感じつつも、徐々に心を開いていく。一方、ジェイコブはなんとか農場を成功させようと必死で仕事に励むのだが……。
監督自らの経験を元に、多大な苦労を重ねながら、アメリカの片田舎に定着を試みる韓国系移民の家族を描いた本作は、その過程で浮かび上がる普遍的な家族愛や、家族の絆が広く共感を呼んだといえる。チョン監督も「これは移民ではなく家族の物語」と語っており、映画の主題が「移民」ではなく「家族」に重きを置いていることも確かだ。だがやはり、本作が世界最大の移民大国であるアメリカで特に評価されたのは、偶然ではないだろう。多くのアメリカ人は、自分や自分の家族がかつて移民として経験した苦楽をこの韓国系家族に重ね合わせ、同じ移民としての自分たちのルーツに思いをはせたはずだ。
アメリカにやって来た理由について、劇中でジェイコブは「韓国では暮らせなかった」とつぶやくのみだったが、そこにはどのような過去が見え隠れしているだろうか? それを探るために、韓国におけるアメリカ移民の歴史と、その変遷をたどってみよう。
韓国移民の始まりと、“冷ややかな目”で見られた歴史
韓国政府の記録によれば、朝鮮の植民地化を狙って日本の侵略が高まっていた1903年に、ハワイのサトウキビ農場に労働者として移住したのが最初の移民とされている。当時の朝鮮人たちが、日本からの弾圧や経済的な貧困を理由に満州や日本に移住した歴史は、以前のコラム『ミッドナイト・ランナー』で「コリアン・ディアスポラ」として紹介したが、中にはアメリカに渡った人々もいたのだ。
こうして始まったアメリカへの移民は、途絶えることなく第二次世界大戦後まで続き、とりわけ朝鮮戦争後から60年代にかけては、米兵と結婚してアメリカに渡る女性たちが後を絶たなかった。当時、米兵となんらかの「接点」を持ち得たのは、米兵相手の「ヤンゴンジュ(韓国人売春婦)」だけだという認識がまん延しており、周囲からは常に冷ややかな目で見られ、後ろ指をさされていたので、どのような立場であれ、米兵と結婚した女性はアメリカに渡るのが最善だったのである。米兵との結婚が今でもあまりよく思われないのは、そういった偏見や差別意識がまだ残っているからかもしれない。