東京育ちが「酒」を軸として大阪を知っていく、『関西酒場のろのろ日記』の豊かな世界
この本は第1章、第2章と大阪が舞台となり、第3章は京都と神戸の酒場が紹介される。
以前、ラジオで上沼恵美子さんがこんな話をしていた。「大阪の未来を考える」的なシンポジウムに呼ばれたとき、司会者から「大阪の魅力とはなんだと思いますか」と真面目に訊かれて、「京都と神戸が近いことちゃいます?」と答えたというのだが、冗談抜きでそれは大きい。大阪だけでも魅力的な酒場文化がありすぎるというのに、ちょっと足を伸ばせばまた全然性格の違う京都・神戸の酒場街を楽しめるのだ。空気感、人のノリ、言葉の違いからくる耳への響き、そして用意されるつまみの感じ……あらゆることが違って楽しいが、関西的という何か共通したものは通底している。
スズキさんは神戸について、こんなふうに書く。
「『気がつけばいつだって山や海まで歩ける』という思いが心の中に持てることがすでに贅沢なことだ。『ちょっと思い切って出かければ神戸の山茶屋で旨いビールが飲めるぞ』と考えられることは、大阪に住んでいる私にとっても、風通しのよさをもたらしてくれているのである」
関西に暮らして自分の「飲み場」を広げているひとしか書けない、なんとも豊かな世界。首都圏に住んで「ちょっと出かければ鎌倉で飲める」のも素敵なことだが、「大阪→神戸」という距離感と変貌する感じの特殊さは、やっぱり無比のものだ。
読み進めるうち、スズキさんの関西酒場案内も手慣れた感じになってくる。それこそ最初は亀が「のろのろ」と歩むように、おっかなびっくりだった目線が次第に住人のそれとなってゆく。だが彼は「未知の世界に出会えそうで鼓動が速くなるこの気持ちが消えてしまうのが、なんだかもったいないようにも思う」なんて書かれる。この穏やかな目線とてらいの無さが、本書の何よりの魅力に私は思うのだ。
ともかくも私は今、京都・八条口に近いという角打ちで、大根と壬生菜の甘酢和えとおぼしき「大根きざみ」を食べてみたくてたまらない。気持ちはもう向かっている。
白央篤司(はくおう・あつし)
フードライター。郷土料理やローカルフードを取材しつつ、 料理に苦手意識を持っている人やがんばりすぎる人に向けて、 より気軽に身近に楽しめるレシピや料理法を紹介。著書に『自炊力』『にっぽんのおにぎり』『ジャパめし』など。