宮内庁職員は「両陛下への態度が馴れ馴れしすぎる」と女官激怒! 大騒動を呼んだ宮中「魔女狩り」ミステリー
皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回まではこちら。
宮中の「魔女狩り」ミステリー
――前回までは、新興宗教にかぶれ、スピリチュアル的なトランス状態に陥った元・女官長の島津ハルが昭和天皇の「短命」などを予言、それに宮中が激震したという「島津ハル事件」についてお話しを聞いてきました。
堀江宏樹 今回からは、昭和中期の宮中を”魔女”と呼ばれた女官が騒がせていた件について、お話ししたいと思います。最終的には”魔女狩り”されちゃうんですけどね。
――魔女狩りとは穏やかじゃないですね。その魔女と呼ばれていたのは、いったいどういう方だったのでしょうか?
堀江 魔女と呼ばれたのは、大正時代から皇室にお仕えしていた、旧華族、公家出身の女官・今城誼子(いまき・よしこ)さんという方です。
この方、僕はとても立派な方だと思います。世間で「魔女」というと、グラマラスでセクシーな女性のイメージ。もしくは、妖術で人心をたぶらかす妖婆のようなイメージを勝手に抱いてしまいますけれど、今城さんはまったくそれとは別。彼女について書いている、皇室ジャーナリスト第1号の河原敏明氏の書籍で拝見する彼女の面影は、まるでベテランの女教師みたいな感じなのですよ。小学校の頃、こういう厳しい独身の女性の先生いたなぁ~という。
――たしかに今城さん、お写真で拝見するかぎり、カッチリとした洋服の着こなしですね。長めのスカート、分厚いタイツにパンプス、そして白髪交じりのショートカット。到底、魔女には見えないのですが?
堀江 魔女どころか、厳格な方なのだろうなぁということは想像できますね。そんな今城さんを魔女呼ばわりしたのは、昭和天皇の侍従長として有名だった入江相政(いりえ・すけまさ)氏。彼の日記は『入江相政日記』(朝日新聞社、全6巻)として刊行され、ご子息の入江為年氏の監修のもとに、ほぼ全文が公開されていると思われます。
それらのうち、昭和45年~47年頃の日記に魔女、魔女、と憎々しく今城さんのことが書かれているのですね。普通に女官として勤務しているときには「今城」と書かれているのですが、入江氏の気に入らないことを主張してきたときには「魔女」と呼ばれていることが、注目点として挙げられます(笑)。それで、魔女=今城とハッキリわかる部分は、編者が伏せ字にしてあるという。