R-18韓国映画『お嬢さん』が“画期的”とされる理由――女性同士のラブシーンが描いた「連帯」と「男性支配」からの脱出
その一方で、多くの日本人観客が「なぜ本作は日本統治下の朝鮮を舞台にし、登場人物たちにたどたどしい日本語を言わせたのか」という疑問を感じるのではないだろうか。日本人ではない私さえも、それがずっと気になったくらいである。
もちろん、原作の雰囲気に合わせて「伯爵」という朝鮮にはなかった身分を取り入れるためといった要因もあるかもしれないし、パク・チャヌク自身「こんなにいやらしい話を韓国語で聞かされるのは……」とためらったように、劇中で発せられる数々の卑猥な言葉を外国語にすることで、衝撃が和らぐといった戦略もあっただろう。だがそれ以上に、そこには長年韓国が抱いてきた、日本のポルノへのフェティシズムがあるのではないかと思う。
実は、いまだに法律でポルノ映画が禁止されている韓国では、国産ポルノを見ることのかなわない男たちが、長年欲望のはけ口を日本産ポルノに求めてきたという実態があった。そして、今でこそなくなっているが、韓国には、違法にもかかわらず日本のポルノ映画をこっそり上映する“闇のビデオ室”なるものまであったのだ。
恥ずかしい告白になるが、私自身、高校時代に何度もビデオ室に通ったし、軍隊から除隊した帰り道にソウル駅近くのビデオ室に入ったのが最後だったこともよく覚えている。表向きは漫画喫茶として営業している店に入り、「見に来た」と暗号のように一言伝えると、奥の密室に案内される。そして、本作で秀子が朗読する淫乱小説にかたずをのみながら聞き入る男たちのように、狭い部屋に集まった男たちは、日本のポルノに見入ったのだった。
西洋ポルノは見た目も異なって現実感がないし、まるでスポーツのようなセックスで色気を感じられなかったが、日本ポルノはその点親近感もあり、またジャンルも多様で断然好まれたのだ。だいぶ前、韓国で公開されたある映画の物語にどうしても既視感があると思ったら、それはビデオ室で見た日本ポルノのパクリだったこともあり、韓国のパクリ文化を恥ずかしく思いながらも、ビデオ室の浸透ぶりに苦笑してしまう自分がいたことも告白しておこう。
パク・チャヌクをおとしめるつもりはさらさらないが、韓国男性が共有する経験と認識を、彼も多かれ少なかれ持っていたと考えるのは自然だし、良くも悪くも日本と朝鮮が共存していた時代設定をもってくることで、本作の物語は見事に成立したといえるだろう。