サイゾーウーマン芸能テレビドラマレビュー『ザ・ノン』「ダメ息子の涙」 芸能 『ザ・ノンフィクション』レビュー 『ザ・ノンフィクション』女たちの献身を当然として受け取る”息子“「母さん ごめん ダメ息子の涙 ~六本木キャバクラボーイ物語~」 2020/12/21 17:52 石徹白未亜(ライター) 『ザ・ノンフィクション』レビュー ゆうせいの金を払い続ける女たちと母親 今回の主人公、ゆうせいはいわゆる「ヒモ」としての力がある。番組内でも2人の女性の家を転々とし、食事も洗濯も女性任せ、友人との飲み会に参加するときには小遣いすらもらっていた。 しかし、ゆうせいに使ってきた金額でいえば、そのトップは母親だろう。母親はすでに成人した息子になぜかクレジットカードを渡しており、番組の最後でついにカードを解約するまで、数年間、自分の給料でゆうせいの買ったものの支払いを続けてきた。 ゆうせいが女性の前で金を出さずにいられるのは、この母親による教育の“賜物”だろう。もちろん、ゆうせいのもともとの性格も、かなりヒモの適性が高いように見える。そして『ザ・ノンフィクション』では、過去にゆうせいによく似た男が出てきていた。 半年ほど前、『ザ・ノンフィクション』では、ワハハ本舗を破門になり、ギャラ飲みで生計を立てている52歳、小堀敏夫の生活について紹介していた(参照)。ともにヒモ気質なゆうせいと小堀には共通点がある。2人とも「反省」という感覚を知らないのでは、と思うくらい己を顧みないのだ。「反省しない」のではなく「反省できない」のかもしれない。 反省という行動は成長につながるための重要なプロセスだが、一方で、反省は自分を責めることになるため、気持ちが暗くなりがちでもある。反省ができないゆうせいや小堀に、暗さはまったくなく、明るく能天気だ。「ヒモ」で生きるなら、明るいほうがいいだろう。うじうじしていて雰囲気を暗くさせるヒモなど、家にいてほしくない。 小さなことをいつまでもくよくよ気にしてしまう人がいるように、ゆうせいや小堀のように、「反省できない人」もいるのだろう。そういうタイプの人間にいまさら「反省しろ」というのも、無茶な気がする。反省できないゆえの明るさを生かし、ヒモとして生きていくのは一つの道ではないかと思えた。 一方で、ゆうせいは女性が食事の会計をしているとき、スマホに目を落とすなど気まずさを感じている様子がにじんでいた。もしかしたら、反省に近い感情はあるのかもしれない。 次のページ 野球少年を献身的に支える母親 前のページ123次のページ 楽天 部活はそんなに悪者なのか!? 脱ブラック部活!現役教師の挑戦 関連記事 『ザ・ノンフィクション』警察沙汰を起こす小学生の実像とは「悪ガキとひとつ屋根の下で ~夢の力を信じた10年の物語~」『ザ・ノンフィクション』定住しない30男、「住まい」に関する信念「ボクのおうちに来ませんか ~モバイルハウスで見る夢~」『ザ・ノンフィクション』認知症の妻の老老介護、最期の日々「おかえり お母さん~その後の『ぼけますから、よろしくお願いします。』~」『ザ・ノンフィクション』人の死を待つ移植待機患者の葛藤「私、生きてもいいですか ~心臓移植を待つ夫婦の1000日~ 前編」『ザ・ノンフィクション』覚醒剤で服役12回、結婚4回の男の実像とは「母の涙と罪と罰 2020 後編 ~元ヤクザと66歳の元受刑者~」