第1志望の「お嬢様学校」に合格したけれど……中学受験には“成功しなかった”母と娘
舞花さんは、当時を振り返って、母・玲子さんについて、こう語る。
「母は、父に対してもそうなんですが、小学生の私にとっても“絶対権力者”だったので、逆らうとか、そういう気持ちにはなれなかったですね。二言目には『あなたのためよ』って言葉で、全ての思考を止められていましたから、子ども心に『どうせ何を言ってもムダだ』って思っていました……」
舞花さん自身は共学志望、もっと言えば、地元の友達と離れがたく、近所の公立中学に行きたかったそうだが、「母“だけ”が憧れているお嬢様学校」合格に向け、努力を続けなければならなかったそうだ。
「今思えば、母自身に何らかのコンプレックスがあったような気がします。『あのお嬢様学校に娘を入学させなければ、自分の人生は“負け”』とでも思い込んでいるような感じでした」
舞花さんは玲子さんの機嫌を損ねないようにするためだけに努力を続け、そのお嬢様校に見事に合格をする。ところが、その学校生活は、舞花さんにとって苦痛でしかなかったそうだ。
「謎のルールがありすぎなんですよ。傘の色まで決められていますし、これはダメ、あれはダメ、少しでも違反したら反省文。そんなことばかりでしたが、一番、腹立たしかったのは、同級生が飼い馴らされた猫みたいで、それが『時代遅れでおかしいこと』とすら思わないところでした。まあ、要するに私には合わなかったんです」
舞花さんは耐え切れなくなり、「高校は違う学校に行きたい!」と玲子さんに訴えたそうだが、返事は当然NO。なぜならば、地元では有名な由緒正しい学校であるのと同時に、玲子さんが憧れる名門大学への推薦枠が豊富であるため、「あと3年の辛抱」と、却下されたそうだ。
「私、そんなに地頭も良くないんですよ。あのお嬢様学校は、一応、進学校だったので、授業には付いていくだけで精一杯。親が望むような成績なんてまったく取れなかったです。中学受験で勉強をやりすぎちゃって、伸び切ったゴムみたいになっていましたから」